78話  喫茶店


 喫茶店が好きだ。もちろん珈琲も好きで、家でもドリップで落として飲んでいるが、外出すると喫茶でひと休みするのが習慣になった。自分の街でも、出張に出た都会でも、旅行でぶらっと立ち寄った町でもとにかくよく喫茶店にはいる。

学生時代は、一杯の珈琲で何時間も粘って、当時の「少年マガジン」や「少年サンデー」をむさぼり読んでいたし、「釣りキチ三平」が連載されると、客の誰よりも早く読み通していた。卒業して仕事をするようになると、クラシック音楽の流れる静かな店をいきつけにして、夜によく原稿を書いていた。

平成元年に宗谷に来てからは、よく通う喫茶店が3軒ある。稚内の珈琲待夢、豊富のイブホワイト、上勇知のあとりえ華である。

 珈琲待夢は稚内の私の病院と同じ町内にある。5人も客が入ると少し窮屈な感じのする小さな店であるが、近所の常連たちが入れ替わり立ち代りやってきて、重元裕子ママとのおしゃべりを楽しんでいる。

 私はこの店には夜の仕事帰りに立ち寄る。もう十数年も挽きたてのドリップ珈琲を同じカップでブラックで飲んでいる。

 ママは私のイトウ釣り師としての成長過程をつぶさに見てきた人で、釣り師高木知敬の応援団長でもある。店には、むかし「北海道のつり」にときどき書いた拙い記事から、「イトウ 北の川に大魚を追う」「幻の野生 イトウ走る」まで私のほとんどの著作が残っている。阿部幹雄の本や、本波幸一名人の登場するつり雑誌もある。ちなみにママは本波名人の実物もご存知で、「素敵な青年」だそうだ。

 イブホワイトは、国道40号線沿いの豊富市街地の端に位置し、その名のとおり白い瀟洒なたたずまいの一軒屋が店である。白田澄子ママは、調理師でもあり、ランチメニューも出している。

 カランコロンという音のでるドアを開くと、「お帰りなさい」とママが声をかけてくれるのがうれしい。

 イブホワイトの入り口を入った右手の一角には、ママの特別の好意で、本波名人と私のコーナーが設けられていて、書籍や雑誌、釣り写真が飾られている。道北に遠征にきた本波氏もときどき立ち寄るのだ。

 私がイブホワイトに来るのは決まって休日の午後で、釣りの合間である。釣果のいい日もわるい日もあるが、イブホワイトでサイフォン珈琲を飲み、英気を養うと、「では湿原に戻ります」といって決然と釣り場に向かうのだ。

 あとりえ華は、酪農地帯の上勇知の丘に立つ孤高の喫茶店で、知る人ぞ知る眺望のよいやすらぎの場である。オーナーは、画家の高橋英生画伯夫妻で、建物の一階が絵のアトリエ、二階が利尻山を一望する広いカウンターと高い天井の備わった喫茶室になっている。

 高橋画伯は稚内出身で、パリで修行を積んだ著名な洋画家であるが、近年札幌から故郷稚内郊外に戻って、宗谷の春夏秋冬、野の花を中心に描くいっぽう、自宅の脇にギャラリーやお絵かき室を設けて、地方に絵画文化の発信地を誕生させた。平成18年冬にいちど火災で全焼したが、その後再建されていっそう魅力的な店となった。

 私があとりえ華の心地よいカウンター席に腰掛けるのは、釣りの納竿を済ませた夕暮れどきである。近景におだやかな上勇知の丘陵が波打ち、正面奥に存在感のある利尻山が残照を放つ。夏場にはお山の北側に燃えるような夕日が沈む。野の花が競い合うように咲き、キレンジャクやヒヨドリなどの野鳥がえさを求めてやってくる。

高橋夫人が特別に江別から取り寄せた珈琲豆の香りに酔いしれ、夢のような壮大な風景に息を呑んで、確実に幸せな気分になる。