76話  車


 むかしは、釣りの足として、鉄道やバイクや自転車が利用された。しかし、モータリゼーションの発展で、いまや釣りには車が欠かせない存在となった。とりわけ、北海道は広大なので、車がないと、魚影の濃い海や川を目指すのも困難な状況になってしまった。イトウ釣り師にとって車は、西部劇の馬と同じだ。

私はいまでも独りで釣りにでかける。だから車は足であるが、いまや頼りになる相棒ともいえる存在である。林道での土手落ち、泥ねいでのスタック、動物との接触、パンクなど幾度も痛い目に遭ったが、車なしのイトウ釣りは考えられない。

宗谷でイトウを狙う釣り師の車は、たいていが四輪駆動車である。でこぼこの林道や、廃道になりかかった道や、ぬかるみに突っ込んだりするのだから、四駆に越したことはない。後輪駆動では、行けないところがある。

 さらに釣り師の車としては、多くの道具を収納できるスペースが欲しい。おまけに車中で寝泊りできれば時間と経費の節約になる。したがって、釣り師の車としてはこういったニーズに応える車種が選ばれるようになってきた。

 イトウ釣り師にもっとも愛用されている車は、ワンボックスカーの三菱デリカバンである。まさにイトウ釣り師御用達車である。この名前を聞いただけで私は、親しい釣り仲間を5人以上数えることができる。そういう人びとは、デリカバンを動く家として活用し、それぞれに個性的な車内のレイアウトをほどこして、遠征に適した使い方をしている。ベッドはもちろん、釣り具工房としても使える。天井が高いので、愛用のロッドは何本も天井裏に仕舞える。しかも四駆車として悪路をものともしないパワーをもっている。

 つぎにランドクルーザー、パジェロ、ビッグホーン、ジープといった本格四駆である。四駆車としての機能は折り紙つきであるから、悪路に安心して突っ込める。パワーも十分である。居住性も優れている。ただこういう車でスタックすると、レッカーが大変なことも事実である。

私は陸上自衛隊がイラクに持ち込んだ装甲車を、真駒内駐屯地の中で見たことがあるが、あれは荒地を走るには最高の車だった。万が一、下手な鹿撃ちの流れ弾が当たっても、びくともしないだろう。

いまや初夏の河口部には、ありとあらゆる種類の四駆車がずらりと並ぶ時代となった。なかには、外国製のキャンピングカーがひときわ巨大なフォルムを見せている。まるでこの地が日本ではなく、アラスカやモンタナといってもおかしくはない光景である。

長い間宗谷でイトウ釣りをやっていると、釣り仲間の顔と車が特定できるようになった。なぜか、チライさんなどは週末ごとになんども見かける。川の近くに彼の車を認めると、「先にやられた」とか「そこはさっき探ったばかりだよ」と苦笑したりする。しかし、彼は私が十分に探ったあとで良型を引きずり出したりするから、油断がならない。

さすがに北の果て宗谷ではあまり聞かないが、内地では車上荒らしが横行し、とくに長時間駐車する釣り人や登山者の車は狙われるらしい。だから、道外から遠征してくる釣り人の車には、たいてい侵入警告用のアラームがセットされている。ドアを開ければもちろん、ウインドーをコツンと叩いても、大音声のアラームが鳴り響く。それを聞いて、私も搭載したのはよかったが、アラームの解除法がよく分からず、自分が車上荒らしのように周囲を気にしながらあたふたした笑えない経験がある。

釣り師の車が魚臭いのは致し方ない。これは、イトウ釣りのように、キャッチ・アンド・リリースしても、同じだ。おそらく、釣り具やウエアや手に魚のにおいがしみ付いているのだ。しかし魚臭い車は、釣り師の勲章である。

イトウ釣り師にとって、車は愛馬である。せいぜい大切に手なずけて、いい働きをしてもらおう。