73話  水族館


 厳冬期にはさすがにイトウ釣りはできない。イトウの棲む川が結氷しているからだ。そんな季節の週末は水族館で過ごすことも多い。

吹雪が止んだ朝、豊平川さけ科学館に行ってみた。無料の公共施設だから気軽にはいれる。いつ行っても大きく展示物が変わっているわけではないが、この水族館は私の大好きな場所なのだ。入口のホールでシロザケの一生の展示がある。これを見終わると、蔵書コーナーに足を運ぶ。書棚に私と阿部の「イトウ 北の川に大魚を追う」を見つけるとちょっと嬉しくなる。売店ではサケマスのグッズがたくさん販売されている。

さて、稚魚の部屋へ行く。まだ卵黄嚢を腹にぶら下げて、まっすぐ定位することもできない孵化直後のかわいい稚魚たちの水槽を見る。これらの赤ちゃんサケが、80pにも成長することが奇跡のようだ。

右手の部屋にサケ科の各種の稚魚たちが、小さな水槽に種類ごとにたくさん泳いでいる。これは見ごたえがある。日本産や海外産のさまざまなサケ科の稚魚たちが種類ごとに展示されている。みんなで仲良く入り乱れて泳いでいるニジマスやアメマスがいる一方で、サクラマスでは魚体の大きな優勢個体が一匹で水槽の半分を占め、残りの半分に劣勢個体の群れが窮屈そうに固まっていたりする。イトウの稚魚たちは互いに仲がいいので魚体の優劣はない。イトウの一年魚にはさすがに成魚の風格はないが、小さいながらきかん気の顔をしている。

階段を下っていくと、成魚の水槽がある。サケ稚魚の巨大な群れがきらきらと光る水槽、外来魚の水槽、国内産魚の混生水槽のほかにイトウだけの水槽が端にある。さけ科学館だけではないが、おしなべて水族館の淡水魚はみな魚体が汚い。狭い水槽のガラスに頭をぶつけるからか鼻ベチャでタコができ、互いの争いで鱗やヒレも傷ついている。人に餌をもらってのんべんだらりと生きている飼育魚のイトウには、野生イトウがもつ王者の風格や精悍さはない。

私は飼育魚に同情しながらも、野生魚の美しい魚体に思いを馳せる。養殖が可能になった現在でも、自然産卵して子孫を残す野生魚が必要なことは、明らかだ。原始の川を支配する強く、誇り高い川の王者イトウは、人工的には造れないからだ。

 せめて飼育魚をストレスのないもっと大きな水槽に泳がしてやりたいと思う。一度だけだが、道東の標津サーモン科学館へ行って、当時の主任研究員だった小宮山英重さんから説明を受けたことがある。こちらの混泳水槽は二階建て家のように巨大で、イトウをはじめ大きなサケ科の魚たちがゆうゆうと泳いでいた。広い水槽に放つと、魚はストレスが少ないからか、おだやかな顔つきをしているような気がした。

「あのアメマスを見てください。腹にかじられた歯型が残っているでしょう。イトウにハーモニカみたいにくわえられた痕ですよ」

イトウの言葉が判ると阿部がいうほど、イトウのことならなんでもご存知の小宮山先生にさまざまな話を聞きながら展示水槽を巡るのはじつに楽しく勉強になった。

 水族館はむかしから大好きで、とくに自分でも釣ることができるような身近な釣魚が泳ぐ姿を見るといつまでも飽きることがなかった。イトウ、アメマス、ニジマス、イワナなどのサケ科の常連や、コイ、フナ、ナマズといった子供のころの憧れの魚が縦横に泳ぎまわる様子は、竜宮城かと思うほどであった。そのいっぽうでアロワナ、ピラルク、ディスカスといったアマゾンの高名な魚にはあまり興味がもてなかった。

旭川の旭山動物園が動物の展示にさまざまな工夫を凝らして、驚くほどの観客を集めている。水族館にももっと意表をつくような展示があってもいい。たとえばイトウが活きた小魚を襲うシーンを見せてくれたら、釣り人はまちがいなく目を見張って喜ぶだろう。また水槽に苔むした流倒木を配置して、イトウの隠れ場を作ってやれば、その陰から目を光らせているイトウの生態を容易に想像できるにちがいない。

 いつかは「釣りキチ三平 イトウ釣り編」に登場したような、イトウの棲む川の水を循環させ、湿原の川を再現した水槽を自宅に作って、日なが野生イトウを観察していたいと思うのは、私だけだろうか。