70話  案内人


 むかしから金を取って釣り客を川に案内する職業はあったかもしれないが、私は知らなかった。私は釣りキチ少年として育ったから、最初は父親が道具や餌から釣り場への足まで、丸抱えで面倒をみてくれた。そのため、他人に金を支払って、釣りをさせてもらうということが理解できなかった。

釣りは、地図を引っ張り出し、あれこれ思案をめぐらせて、計画することからはじまる。現地にでかけて、川をじっくり見てから、どこで、どんな道具を用いて、どう攻めるかを判断する。そういうプレ・フィッシングの時間が非常に楽しい。ガイドを頼むとこの愉悦がまず欠落する。しかし、そういった面倒な時間を省略して、とにかく魚を釣りたいというせっかちな人もいるのだろう。

最近の釣りガイドでは、宿の手配、車の手配、さらには釣り道具の準備までしてくれる業者もあって、至れり尽くせりである。傷害保険もちゃんとかけるなど、用意周到である。

ガイドの仕事は、安全に徹し、客に魚を釣らせて、満足させることだ。釣り人でも、自分が釣ることは得意だが、他人に釣らせることは苦手のひとがたくさんいる。当たり前のことだが、自分で釣るほうが、ずっと簡単である。自分が釣りたいところをグッとガマンして、客に適切なアドバイスし、とにかく釣らせるには、忍耐が要る。

私はプロのガイドではない。したがって金銭は受け取らない。案内を頼まれてもふつうは断る。しかし、他人に釣らせるのは、案外上手である。私が同行した釣り人は、大小を問わなければイトウを釣ることができた。

いちばん苦労したのは、俳優・大地康雄の場合である。もう十年近く前のこと、彼が主役のドキュメンタリー番組に私も案内人として登場した。初夏に大地ほかテレビ撮影スタッフがやってきて、宗谷の川を渡り歩いたが、釣るのは脇役の私ばかりで、肝心の主役には魚がかからなかった。それで秋にまた一個連隊でやってきた。やっと51pの高校生イトウが大地の竿を曲げ、無事ランディングに成功した。彼も満面で喜んでくれたが、スタッフことに監督に当たるディレクターは狂喜してくれた。これでようやく番組ができたからだ。

まったく釣りの経験のない青年に、たった一日でイトウを釣らせることができるかどうか、賭けみたいな試みに興味を抱いたこともある。友人の次男で、運動神経の優れたスポーツマンであり、じつに素直な20歳であった。まずは、私の釣り道具をすべて貸し、陸上のキャスティング練習からはじめた。いきなり川通しの釣りに連れていき、徹底的にマンツーマンで教えた。なかなか天下のイトウは掛ってくれなかったが、日没も近くなって、ついに彼の竿にイトウが乗った。

 「あっ、魚が跳ねた」

 「馬鹿もん、お前の竿に掛っているのだ。さあ、早くリールを巻け」

 そんなやり取りのあと、彼は必死で闘ったが、残念ながら魚は目の前でバレた。60pはあるイトウだった。しかし彼は一日でイトウを掛けたことを、ことのほか喜び、案内人兼師匠の私も自分が釣るのとは別種の充実感を味わった。

 北海道にいったい何人くらいのプロの釣りガイドが仕事をしているのかは知らない。客の命をあずかり、希望に沿って目標の魚を釣らせるのはそう簡単なことではないだろう。天気や川の流れは言うことを聞かないし、客の釣り人としての力量もさまざまだから。

 ガイドにもいろいろな人がいるが、自分の素性も明かさない胡散臭い人物には案内を頼むべきではあるまい。ガイドは一日いっしょに自然のなかで過ごして気持ちのいい人格者であり、よき釣りの師匠であり、命を託すに値する人物であるのはもちろん、報酬も手ごろであるべきであろう。

 最後に釣りガイドをやろうという人びとへの忠告をひとつ。現在山岳ガイドが客を連れた登山中の事故により、民事裁判だけではなく刑事裁判でも有罪になる事例があり、釣りガイドもおなじような目に遭う可能性は十分にある。川を知らない人びとは、それこそなにをしでかすかわからず、それにより死亡することも十分ありうる。その責任は、当然ガイドに科せられる。安易に金を取って人を案内し、ニーズに応えていては、人生を棒に振るかもしれない。