62話  バイク


 私はあまり乗らないが400ccのバイクを一台所有している。もう10年ほど前に買ったヤマハのSRXという単気筒のシティバイクだ。速くもなければ、それほどカッコよくもない。それでもドドドッという単コロ特有の腹に響くエンジン音は気に入っている。いまでも街中やちょっと郊外を走るには不自由はない。それで年間1000キロも走らないくせに、相変わらず二年ごとに車検を受けている。

むかし、ヤマメのえさ釣りをやっていたころは、週末はリュックサックを背に、バイクにウエーダーをはいたまままたがって、往復200qくらい走って釣りに行った。趣味の釣りとバイクをいっぺんにやろうという虫のいい魂胆だった。それなりに楽しかったが、さすがに渓流を釣り歩いてからバイクを飛ばして帰宅すると、くたくたに疲れた。バイクにまたがったまま居眠りするという致命的な経験もした。

イトウ釣りに転向すると、大量の道具でバイクでは運びきれなくなった。もっとも問題はロッドの長さであった。パックロッドでも持っていればよかったが、モンスターを相手にパックロッドでははじめから勝ち目がながった。それで釣りはもっぱら車で行くようになった。いまだにバイクでイトウ釣りにいけたらいいと思ったりするが、もうバイクでは釣りにいかないだろう。

オフロードタイプのバイクならば、渓流釣りに林道の奥まで走っていけるだろう。私の古い友人は、トラックとオフロードバイクを持っていて、トラックで林道の奥のゲートまで走り、そこからは荷台に積んだオフロードバイクに乗り換えて山脈の懐にあるダム湖まで釣りにいったりしていた。すさまじい執念の釣り師だと感心したが、ゲートをくぐっていくのだから、あまりほめられた林道走行ではなかったようだ。それに林道でヒグマに出くわす危険もあった。中年になった彼がまだあんな強行軍をやっているのかは知らない。

私は釣りとおなじく、バイク乗りの亡父からその血を受け継いだ。父のころは、ヘルメット着用の義務はなかったので、黒いメグロにハンチング帽をかぶってまたがっていた。それが子供心に非常に素敵だとおもった。もうセピア色に変色した古い写真を見ると、父のメグロに3歳くらいの私がガソリンタンクの上に座り、ハンドルバーに手を伸ばしてはしゃいでいる。3歳くらいまでに刷り込まれた習慣は、もう一生つづくのであろう。

私の住む稚内には、稚内港北防波堤ドームという北海道遺産に指定された美しいアーチ型のコンクリート構造物があり、この下が長さ約427mもの天井のある空間になっていて、夏季にはバイク乗りたちのテント村になる。そこには日本各地のナンバープレートを付けたありとあらゆるバイクが集まっていて壮観である。なかには、テント村で竿を伸ばしている青年もいるから、釣り天国宗谷の海で晩飯のおかずでも釣ろうとしているのだろう。防波堤ドームのすぐ近くに稚内全日空ホテルがある。バイクツーリングをやりながらホテル泊をするリッチなライダーもいるそうだ。

いまバイクの人気にかげりがみえて、ツーリングバイクの数も往時と比べてずいぶん少なくなった。私もバイク愛好者だから、バイクで簡素な旅をつづける若者たちには、共感をおぼえるが、せっかく北海道の夏を楽しみにやってきて、大きな事故を起こして死んだり、障害者になってしまった者をたくさん診てきたので、無事に帰れよと声をかけたくなる。

いまだにバイクでイトウ釣りに来る釣り人がいるのだろうか。6月の河口部に集まる釣り人たちのなかには、そんな剛の者が混じっているかもしれない。長いロッドを佐々木小次郎のように斜めに背負って、バイクにまたがる姿はなかなか粋だ。四輪駆動車全盛時代のいま、そういう釣り人がいれば、私はちょっと話しかけたくなるにちがいない。