48話  寿 命


 団塊の世代であり、中年から初老の年齢に近づいてきた私はときどき「あと何年生きるだろうか」と考える。 人生70年時代から、いまは寿命が延びて人生80年時代に突入した。いつしか日本は男女ともに世界有数の長寿の国になった。それは結構なことだが、問題は長寿の質である。健康で自立した長寿が望ましいが、そうではなくて生かされた長寿も多く、実際に私も医師として複雑な想いでそういった高齢者を診ている。

 私の家系はわりに長寿である。だから、私もその血は引いているとおもう。おまけに私は生活習慣病にはならないように年中ランニングを積んでいる。酒は多少やるが、タバコはやらない。美食家でもなく大食漢でもない。早寝早起きである。精神的に落ち込んでも立ち直りは早い。基本的に楽天的である。こういう資質から、私は最近、事故で死ななければ90歳まで健康で長生きすると信じるようになった。

 わが愛するイトウもまたサケ科ではきわめて長寿である。自然環境の状態が良好であれば、イトウは20年長生きして、2mになると、以前読んだおぼえがある。

 2003年初夏、野生鮭研究所長の小宮山英重さんといっしょに川を歩いた。彼は私が釣り上げたイトウをすべて計測した。体長・体重のほか川岸でイトウのウロコを数枚採って、顕微鏡で観察し、ウロコの年輪からイトウの年齢を割り出した。そのとき、24pのイトウが3歳、72pが11歳、82pが12歳だったと記憶している。2005年に本波幸一名人が釣った111p、15.1kgのイトウのウロコは直径12oで、年齢は18歳であった。イトウは巨大化する魚だが、成長には十分長い時間もかかっている。

 イトウは長寿の魚だが、寝たきりですごすようなイトウはいない。老いたイトウを介護する若者もいなければ、親を看取る子もいない。すばやく泳げなくなり、自力でえさを捕れなくなった時点でイトウの寿命は終わりだ。死ねば死体は鳥や小魚やプランクトンに食われ、分解して川の栄養になる。じつに単純で、いさぎよく、無駄がない。私もイトウのように死にたい。

 しかし90歳まで生きるのであれば、56歳の私にはまだ34年間もある。振り返って34年前といえば、まだ学生で親のすねをかじっていた。こんなに長い時間があるのなら、もうひとつ面白い人生をやってみたいとおもうようになった。

 いまやっている人生もわるくはないが、だんだん惰性に陥るのは否めない。人間は基本的に怠惰にできているから、楽をして生きるすべを覚えると、新しい挑戦はしなくなる。

 私の目標のひとつは、世界中のイトウ属を釣りで確認して歩くことである。日本のイトウHucho perryiは千匹以上釣ってそのさまざまな知識を得た。しかし、その他のイトウ属については、実物を見たこともない。もうすこし経ったら、シベリアに棲むタイメンH.taimen釣りの旅にでたいと思う。そして最後にはドナウのイトウH.huchoをなんとか釣りたいと決めている。来るべき日のためにイトウが棲む大湿原ドナウデルタの資料はこつこつと貯めている。

 釣りたいのは、イトウだけではない。サケマスならどんな種類でも一度は釣ってみたい。とりわけスチールヘッド、アトランティックサーモン、キングサーモンは夢の釣魚である。これらの大魚をガイドの案内で釣らせてもらうのではなく、あくまで自力で釣るのが目標である。それには生息地に長期に滞在する必要があり、途方もない時間が要りそうだ。そういうことに残りの人生を当てるのもわるくない。私にとって最高の死にかたは、釣りの最中にあの世に往くことである。竿を握って、その竿に大魚が乗っていれば、これ以上の大往生はない。

寿命というものは、神様が決めることで、人が自分の力でどうこうできるものではない。そうかもしれないが、ある程度は意志や、生活習慣によって、寿命を延ばすことができるかもしれない。頭と身体を十分に使うこと。ストレスを避けること。いやな仕事はやらないこと。現代社会で、こんな生活習慣を実現できるかどうかは、おそらく本人の人生観の問題であるが。