46話  南極からイトウへ


 「南極とイトウ」どう関係があるのか。なんら関係はない。関係者は私ひとりである。インターネットの検索エンジンで調べてみたが、両方に取り組んだ人物は私だけであった。

 私は医師であるが、30歳台はあこがれの南極に熱中し、第21次と第28次日本南極観測隊で二度越冬観測に従事した。40歳から56歳の現在までは、日本最北の街稚内に住んで医療をやりながら、宗谷に棲む幻の魚イトウを追いかけている。川の氷が解けてから春は、イトウの産卵行動を観察し、私の釣りの解禁である5月初旬から冬の結氷までは竿を握ってイトウ釣りに没頭している。

「南極とイトウ」に共通点はないかと考えるがまず思いつかない。南極海にはライギョダマシとかショウワギスといったきわめて寒冷に強い魚はいるが、イトウが捕れた記録はない。イトウが棲む地域は、北半球の北部の寒冷地が多いが、その地域が南極のように年間をとおして寒冷というわけではない。

共通点があるとしたら、両方とも巨大であることは別として、幻の魚イトウが、じかに見た人は少ないのに名前だけは有名な魚であることと、南極は誰でも知っているわりには、行ったことのある人は非常に少ないことであろう。つまり知名度が高く興味を引くが、実際には体験できない。そういう共通点である。私はそういうモノが好きなのであり、実際に行く、実際に見ることに激しい生き甲斐を感じる。そのためには労を惜しまず、行動に熱中し、体験を積み、記録を残し、世間に発表する。そういう人生を送ってきた。

世の中には、温暖、都会、省エネ、開発、安全を好むひとびとが多いが、南極とイトウはその対極にある。寒冷、孤絶、巨大、未知未踏、危険、そういった人を寄せつけない魅力が南極とイトウには共通してある。

2002年に母校の北海道大学で、新入生550人に授業をさせてもらう機会があった。演題名は「南極越冬から幻の魚イトウを探す旅」とした。しゃべる演者が、南極の研究者でもなければ、イトウの研究をする魚類学者でもない、田舎の病院の医師であるのが、学生には不可解であったようだ。ともあれ会場は超満員で、熱気が渦巻いていた。

病院の医師が、病気の話をする、あるいは地域医療を語る。そんなことは当たり前のことで、聴くまえから内容はだいたいわかってしまう。ところが、医師がしゃべる「南極とイトウ」のストーリーは、想像がつかない。どちらも体験が基礎にあり、半端ではない時間がかかった話であるのだが、「いったいこの医師は、なぜ南極に二度も越冬し、いまはイトウに熱中しているのか」という疑問が湧くはずだ。つまり、話の中身はおそらく、「南極とイトウ」に熱中した男の人生だということが想像できる。そうなると「この演者はいったいどんな人物なのか」と興味をそそるのであろう。

世の中には、多芸多才の人がいる。私はそういう能力には恵まれていないが、常にさまざまな対象に好奇心をもっている。しかも、興味をもつと、とことん首をつっこんでみたくなる。その例が南極であり、イトウであった。その他にもいろいろ熱中したが、ほかにものになったものはない。

私は元来、探検と冒険が好きで、それだけで人生をやっていけたらさぞかし幸せであろうとおもう。しかし、いまさら斬新な探検と冒険があるのか。たいていは誰かの二番煎じしかあるまい。それならば、二番煎じではあっても、私個人にとってははじめての経験なのであるから、そのつもりでやれば、けっこう面白いことがたくさんある。ただ人類の歴史的な価値はないから、そのつもりでいないと笑われる。

さらに私は自分の生計はきちんと立てて、他人のやっかいにはならないことをモットーにしてきた。世の中には自分の冒険にかこつけて、他人の世話にばかりなっている自立できない冒険家がたくさんいる。それも若者ではなく、りっぱな大人のくせに半人前の冒険家がいる。世話にばかりなって、世話をする側にまわらないひとでは駄目で、支持は得られないだろう。

南極からイトウへの旅は、さらに別の目標へ向かう旅に引き継がれるにちがいない。そうやってあの世まで旅をつづけるのもわるくない。