44話  イトウの会


 そろそろ身内すなわちイトウの会のことを書こう。

イトウの会は、市立稚内病院の職員で構成されている釣り同好会である。病院の外にも会友といえる仲間がいるが、一同に会したことはまだない。

 オリジナルメンバーは、大村正行・加藤基義・谷直人・川村謙太郎と高木知敬の5人であった。みな釣りが好きではあったが、真の釣りキチといえるのは川村と私だけで、他の3人はそれほど熱中していたわけではない。それで会が発足した当時、私が会長で川村が副会長となった。2005年に川村が退会したので、いまは中核メンバーが4人となった。それぞれが一匹狼の会員はいっしょに竿を振ることがほとんどなく、会の行事はマチでの飲み会がほとんどであった。いつも南稚内の「ふるさと」という小料理屋の奥の小あがりにとぐろを巻いて、釣り談義にふけっていた。

メンバーを紹介しよう。

大村は作業療法士である。釣りのほかに狩猟もやる。ステラという高級なリールを持っているくせに、さっぱりイトウを釣れないので、私はいつも言っていた。

 「これじゃ、ステラが泣いている。おれに貸してみろ。むせび泣くようなドラッグ逆転音をあげさせてやるよ」

 しかし、最近は家族を連れて、こっそり川に通っては竿をふっているらしい。

 加藤は放射線技師である。イトウの会では独りだけフライマンである。イトウを釣るのであれば、ルアーとフライでは釣果が10倍も違うといっても、いっこうにルアーをやろうとはしない。去年加藤は、私が川通しに釣りあがったあとで、80pのイトウを掛けて私をくやしがらせた。そんな「とりこぼし」を今後は絶対に期待できないぞと言っておいた。

 谷は薬剤師である。釣りに関してはまだまだ初心者である。しかし、彼は野球もやり、わが病院チームのエースである。イトウの会のホームページの更新作業は、彼と加藤がやっている。私はホームページ作業はまったくできない。原稿を書きっぱなしで、「はい」と渡すだけである。

 イトウの会では会長の高木知敬ひとりが前面に出ているが、後ろでこういった釣り仲間が支えている。

20045月にイトウの会ホームページを開設した。情報を発信する手段をもつことは、長いあいだ暖めてきた夢であったから、われわれはみな喜んだ。ホームページの開設が会員の結束を強めることになった。

イトウの会ホームページの目的はなにか。もちろん釣りガイドではない。釣り自慢でもない。イトウの絶滅防止と環境保全だけを訴える自然保護のサイトでもない。われわれが宗谷という日本の北の果てで楽しんでいる豊かな釣りを紹介し、日本中の釣り愛好家のみなさんに一定のルールを守りながら楽しみを共有してもらうための情報発信である。

開設にあたり、私はひとつだけ条件をつけた。それは、われわれは名前も顔も所属も明らかにして、ものを言うことであった。世に釣りのサイトは数多いが、そのほとんどはハンドルネームと称して、姓名や所属を明かさずに管理運営している。しかし、自分が会長を務める釣りの会では、全員が正々堂々と正体を明らかにして、責任をもってものを言ってもらいたい、批判は甘んじて受けようというのが私の方針である。

ホームページは、イトウの会の若者たちが、ああでもないこうでもないと見よう見まねで試行錯誤しながらすこしずつ作っていった。真冬のまだフィッシングができない季節であったので、よけいに熱がはいったようだ。私も会長として、いくつかの原稿を書いた。全体の構成は実際に見てもらうしかないが、なかなかよくできていると自負している。ホームページを作ることによって、イトウに対するわれわれのスタンスも徐々に明確になっていった。「イトウを釣りながら、イトウを守る」ということだ。

私は「イトウおじさんの話」というコーナーを作ってもらい、イトウにまつわる興味深いエピソードを定期的に載せることにした。「第一話 メーターオーバー」から掲載をはじめた。イトウの会は、基本的に釣りの会なのだから、景気のいい大釣果が冒頭をかざったのである。「イトウおじさんの話」は本編ですでに第44話に達した。話のネタはいっこうに尽きることはない。それだけイトウ釣りの世界は広く、深く、興味が尽きない。

最近、豊富高校1年生4人が、担当の先生につれられて、私のもとへやってきた。社会科の授業である地域研究のテーマに地元の魚イトウを選び、インターネットでイトウの会ホームページを見つけ、イトウの勉強に来たのである。イトウの会としては、学校教育に協力するという得がたい機会を与えられたわけで、襟を正して学生さんたちを迎えた。私が高校生たちの質問にひとつひとつていねいに答えた。イトウに関する本やパンフレットも進呈した。地元の次代をになう若者たちが、イトウについて知識を深め、イトウを守る意識を育ててくれれば、イトウの未来はけっして暗くはない。

 「ひさしぶりでイトウの会は、社会活動をしたなあ」

応対した加藤と私は喜びあった。

 イトウの会として、社会活動をやりたいとは、以前から考えていた。われわれは釣り師なのだから、分相応にイトウの扱いかた、接しかた、川周辺の酪農家との付き合いかたなどを啓蒙していきたい。イトウ釣り師としての禁漁期間や禁漁区域といった具体的なルールも提案したい。減少傾向にあるイトウは、釣り人のモラルに任せておくだけでは、絶滅防止が難しいとおもうからだ。

宗谷にはまだイトウは幻といえないほどの数で、生息していることは確かだ。このイトウをすくなくとも現状で維持できるように、川の見守りをすることが、われわれの最大の使命であると思う。