43話  FMノースウェーブ


 11月中旬の土曜日、私はいつものように湿原の川にいた。天気は不安定で、ときおり西風に乗って雪が舞った。水温も気温もともに5℃くらいだった。フィッシングウエアはすでに冬装備と変えていたが、それでも風に吹かれると手指は冷たかった。

 105分に1匹の高校生イトウを釣った。釣り師は獲物を手にするとにわかに気分が乗ってくる。私にはまちがいなく狩猟民族の血が流れているようだ。11時に川から200mほどの場所に停めた車に戻った。珈琲をテルモスからカップに注ぎ、それをすすりながら、携帯電話を取り出した。1120分に電話が鳴った。相手は札幌のFMノースウエーブの女性ディレクターである。

 「おはようございます。釣りをされていたんですか?」

 「おはようございます。もちろん釣りをやっていました。けさイトウを1匹釣りました」

 これを言いたくて、朝からがんばっていたのだ。

 「まもなく、DJのヒロ福地が電話に出ます。番組を流しておきますので、携帯を耳に当ててお待ちください」

 軽快なポップスミュージックが響き、コマーシャルが流れた。ちょっとワクワクした気分だ。

そのうちに、一週間の新聞から、ニュースをよりすぐって紹介するコーナーに移り、なつかしいウィークエンダーのイントロにつづいて「稚内の高木さんが、イトウ1000匹を釣りました」とのアナウンスがはいり、ヒロ福地が登場した。

 「川で釣りをしている高木さん、こんにちは」

 私は彼に会ったことは一度もない。しかし、阿部幹雄の「MIKIOジャーナル」を見ると、イチオシの司会をやっているのが、ヒロ福地であることは知っていた。歯切れのいいものいいをする人で、女性に絶大な人気があるそうだ。ヒロはリズムよく、いつから釣りはじめたのか、なぜ1000匹も釣るのかなどを聞いてきた。もちろん間髪をいれずに答えた。

 「一年にどれくらい釣りにでかけるのですか?」

 「年間60日くらいです」

 「それじゃ、行けばかならず釣るわけですね」

 「行けば、かならず釣ります」

 じつは、これはほらである。行っても全然魚信がなく、がっくり肩を落として帰る日もたまにはある。夏季なんか、私でも二回に一回しか釣果がない。

 「いままで一日で一番たくさん釣ったのはどれくらいですか?」

 「一日9匹です。まだ時間はあったのですが、イトウを2桁釣ったらバチが当たると思って、9匹で止めました」

 これは事実だ。

 「釣りは真剣にやっています。川では魚を釣ることに集中しています。仕事のことを考えることはありません」

 これはまちがいなく本音だ。

 ヒロの電話インタビューは、10分間くらいだったろうか。私は延々といつまでしゃべっていてもいいのだが、ヒロは時計をにらみ、ディレクターの顔をうかがいながら、話を打ち切るタイミングを図っていたにちがいない。

 ラジオにしてもテレビにしても、生放送のスケジュールは秒刻みで進行していくので、時間のワク内に収めるのが大変なのだということを、相棒のビデオジャーナリスト阿部幹雄から聞いていた。民間放送にはスポンサーがついていて、CMがかならず入る。CM料は時間帯により30秒百万円などと決まっていて、ぶっ飛んでしまったらそれこそ大変なのだ。私のイトウ1000匹談義は無事終了した。

 「ありがとうございました。このへんで高木さんをリリースします」

 ヒロの上手な閉め言葉で私は電波から外れた。直後に、女性ディレクターが電話にでて、

 「お忙しいところをありがとうございました。番組はのちほどCDに録音してお送りいたします」

 と礼を言い、電話を切った。

 「お忙しいところか」

 私は独り笑いし、珈琲をひと口のんで、また川へ戻る準備をはじめた。

 FM放送局は札幌で、なん万人ものリスナーが人気DJヒロ福地の番組を聴いている。いっぽう私は宗谷の茫漠とした湿原にいて、私以外には人っ子ひとりいない。ヒロと私は携帯電話の回線で結ばれているが、私は放送そのものを聴けないし、リスナーの反応も分からない。

 「じつにおもしろい状況だったなあ」

 私はなぜかとても愉快な気持ちになり、きょうはとてつもない巨大魚が釣れるかもしれない、釣れたらまた放送局に電話してやろうとほくそ笑みながら、川へとつづくヨシ原の小道をゆっくり歩きはじめた。