40話  秋雨


 宗谷では晩秋になると、気象の変化が激しく、なぜか週末ごとに雨がふる。これは、ことしに始まったことではなくて、以前からそういう傾向にある。まるで釣りの神様が川釣り師たちをもてあそんでいるようだ。

 私は秋になると週間天気予報を見るたびにうんざりしているが、さいわいなことに天気予報も外れることがあるので、望みは捨てていない。冬を前にして、もうイトウ釣りを楽しむ時間も限られている。雨が降ったくらいで簡単にあきらめるわけにはゆかない。われわれ釣り人が知りたいのは、天気予報そのものではなくて、天気によって川がどういう状況にあるのかということである。

以前は、実際に川へ行って、水位・透明度・色合い・水温・流木の有無などを確かめたものだが、いまは、降水量と水位はインターネットで即時に知ることができる。「釣り人の河川情報」というサイトだ。釣り人にとって、これは大変ありがたい情報で、各河川の観測点の数字を読むことで、釣りの目的地を決めることができる。もちろん、その川の釣り場の平常水位を知らないと話にならないので、一番いい水位のときの数字を記憶しておく。また目的の川の情報がなくても、付近の河川の情報から類推できることも多い。

「釣り人の河川情報」の存在を教えてくれたのはチライさんで、彼は都会にいながら道北の河川の状況を知っていたのだ。「釣り人の河川情報」はi-modeで携帯の画面でも見ることができるので、フィッシングの途中でも次の釣り場の様子や、雨量の時間推移の情報で「あと何時間でベストの水位になる」といったことも分かる。

おそらく「釣り人の河川情報」のご利益をいちばん受けているのは、都会の釣り人であろう。数時間もかけて現場へ行ったのに釣りにならない大増水だったということは、防げるのだ。私のような地元組は行って駄目だったら引き上げて昼寝でもしていればいい。しかし遠征組はダメージが大きい。

私は最近よく大河の中洲に乗って竿をふっている。かなり水位が高く、中洲が消滅する恐れがあるときなどは、降水量と水位の経時的変化を知っていると安心して釣りをつづけることができる。乗ったはいいが、増水で中州に取り残されて、救助を頼むといった恥ずかしい事態にはならないですむ。

さて秋雨で川が増水・茶濁し、釣りどころではない状況のときは、どうするのか。私はふつうその川の最下流へ走るか、上流部を探る。川が海に注ぐあたりは、当然ながら川幅は広く、多少の増水でも釣りにはなる。しかも中流を濁らせていた土砂が流れ行く途中で沈殿し、案外水が澄んでいたりする。いっぽう上流部はふだんは、渇水で大きな魚など望めないが、雨が降って、かえって大魚が遡上し、小さな渕にとんでもない巨大魚がいたりする。ここまでは常識である。

私はとっておきの非常識も知っている。それは秋雨で増水し、茶色に濁って膨れ上がった中流にも、このときだけイトウが集結する場所がいくつかあるのだ。もちろん泥濁りして、どう見ても釣りにならないので、他の釣り人の姿はない。そんなとき私は、覚悟を決めて、ふんどしを締めなおし、釣りの神様にお願いしてから川に踏み込む。ふだんはタモなどじゃまでしかないが、この時にはかならずサクラマスネットを背負っていく。かりに釣ってもランドする場所などどこにもないからだ。川に立ちこむと、だいたい胸までの増水である。それ以上なら自殺行為だから絶対に立ちこんではいけない。そういう場所は、ふだんもイトウが一匹二匹と居つく好釣り場だが、増水すると居つき以外のイトウも緊急避難してくるのか、10匹近く集まっていたりする。泥川のなかから、入れ食い状態で無警戒なイトウが掛るから、釣り人は驚天動地、竜宮城の浦島太郎となる。大釣りをしたら、「感謝と畏敬の念」で川にお礼をしなければならない。それを怠ると、つぎに痛い目に遭う。

秋雨がみぞれに変わると、いよいよ長い冬のはじまりだ。風雪の宗谷で顔をしかめながら一日キャストしても、そうたやすくはイトウがヒットしてはくれない。しかし、奇跡的に掛った1匹のイトウは、夏場の10匹分の価値はある。それが忘れられずにこの冬も、遠来の釣り師たちが竿をふるのだろう。