34話  竿とリール


 竿とリールはイトウ釣り師の商売道具である。私の身近にいる名手たちは、それぞれ釣り道具にはこだわりをもっていて、非常な愛着をもち大切に扱っている。私はどうも道具には無頓着なほうで、手入れもずさんである。シーズンがはじまると、道具は車に積みっぱなしで、きちんとメンテナンスもしていない。ひどいときは、二本継ぎのルアー竿にラインを通したまま、ルアーも結んだまま継ぎ目を外して、車の中に置いている。そんなシステムが、中小河川用と大川用の二組はある。

先日、本波幸一名人が自分で作った9.5ftのルアー竿をくれた。これは私の宝物である。しかし、宝物の竿は家に置いてかざっておいても仕様がないので、車に積んでいる。製作者には申し訳がないが、あまり手入れしていない。ただし、ビュンビュン振り回して、竿が「竿冥利」に尽きるほど使いこんではいる。まだメーター級のイトウは掛ってはいないが、掛ればいい具合に曲がってくれるだろう。早くメーターが乗ったときの本波竿の使い心地を彼に報告したいものだ。

長年イトウ釣りをやって、竿はさすがにたくさん買い込んだ。しかしよりいいものが手に入ると、古いのはお蔵入りとなってしまう。それでも想い入れのある竿を他人にくれてやるのは惜しいので、我が家の釣りの殿堂入りをしている。管理釣り場で使うようなへなちょこ竿から、11ftの剛竿まで各種ある。ときどき触って振ってみるが、殿堂入りしてしまうとよほどのことがないかぎり現役には復帰できない。

現役で使っている竿で、不思議な竿が1本だけある。じつはこの竿は川で拾ったのである。ルアーではなくて、リール付のルアー竿を拾ったのだ。それも春の雪解けの直後であったから、もしかすると川で越冬していた竿かもしれない。リールはガチガチに赤錆びて機能が失われていたので、捨ててしまったが、竿のほうは、乾かしオイルを塗ったりして少し手入れすると、十分使えることが分かった。これを川で失くした釣り人は、さぞかし悔しかっただろうから、その人の分まで有効利用しようとおもった。7ftほどの短い竿なのだが、ガイドリングが大きく、バットが太く、全体にがっしりした造りになっていて、30gほどの重いルアーも投げられる。少々ヤブこぎをしても、穂先が折れるようなヤワではない。短くて強い中小河川のイトウ釣りにはぴったりな竿である。むかし西部劇「拳銃無宿」の主人公スティーブ・マックィーンが腰にぶら下げていた銃身を切り詰めたライフルのように、無骨で凄みがあり気に入っている。

リールはむかしは完全に消耗品だとおもっていた。ひどいときは、春から冬のひとシーズンで3台のリールを買っては壊した。高価なリールではないが、115千円くらいはした。ベアリングが磨耗してハンドルが回らなくなったり、ベールがひん曲がったり、小さな部品が壊れたりした。ふつうの釣り人の使用頻度とはまるで使い方がちがっていたのだ。

リールでも手入れすれば何年も使えるということが分かったのは、シマノのステラという高性能なリールをメーカーから提供されたあとである。シマノ提供の番組に出演したときメーカーがくれたのである。そりゃそうだ。シマノの番組に、ダイワのリールで登場するわけにはいかない。釣具会社の担当者は、釣り師や釣魚よりも道具に注目しているのだ。念のため断っておくが、ダイワのリールが劣っているわけではなく、私が安い機種しか買ったことがなかっただけである。

高価なリールの機能があれほど心地よいとは知らなかった。とくに魚が掛ったときの逆転機構は音楽かとおもった。大魚が暴れると、ジュージューと小さな連続音がして、じつにスムースにラインが出ていくのだ。安いリールのジャジャージャジャーという品のない絶望的な断続音とはちがうのだ。形は似ていても、使っている金属がまるきり異なるのだろう。

私は一年間まさしく酷使したリールを、冬場のオフシーズンにメーカーのメンテナンスに出している。部品を交換されることもあるが、新品のようになって戻ってくる。こうしたサービスを受けると、数万円もする高価なリールも決して高くはないと納得するようになる。自動車に例えれば、一度クラウンに乗ってしまうと、もはやカローラに戻れないのと同様に、リールも上級機種を使ってしまうと、廉価機種には帰れないのだろう。

私はむかしは高性能で高価な竿やリールには興味がなかったが、いつの間にかそんな優れた機種を手にして川へ通うようになった。最大の理由は、道具への信頼感である。一生に一匹の魚が掛ったとき、腕がつたなくてではなく、道具がわるくて釣れなかったら百年の悔いを残すだろう。いまは少なくとも道具のせいでバラしたと言い訳できなくなっている。