私が一年に百匹のイトウを釣るというと、よくつぎの質問を受ける。

「おなじイトウをなんども釣っているのではないですか」

実はこれは事実であり、私ははっきりとした事例を2匹知っている。 一匹目は、三本バラシと名づけた渕で、なかなかいいイトウをヒットさせ、首尾よく取り込むことができた。体長は64cmで、元気のいい魚であった。簡単に下顎に掛かったフックを外してやり、リリース前にもういちど魚をよく観察したところ、口の中からもう一本ラインが飛び出していた。

「あれ、いま外したばかりなのに」

私は狐に化かされたような気になったが、たしかにもう一本ラインが見える。それはしかも見覚えのある青いラインであった。そこでもういちどイトウの口をしっかり開くと、なんと18gの金色のスプーン型ルアーが口腔内奥の肉に引っかかっていて、ルアーとラインの組み合わせは、どう見ても私のものであった。そういえば1週間前、この近くの渕でブチンとあわせ切れした魚がいたことを思い出した。さっそくそのルアーもプライヤーで外してやった。イトウはまるで私にルアーを取り除いてもらうために、再びヒットしたようなものであった。

「口のなかに特別大きなトゲが刺さっているのに、よくも新たな餌に食らいつくものだ」とあきれた。

 イトウは生きることにはしたたかで、食欲のためには多少の疼痛も忘れるほどの悪食なのだろう。

 二匹目は67cmのイトウで、左眼がない。片目にしたのが、ほかでもない私である。最初のヒットで左眼をルアーのフックでえぐってしまったのだ。 しかし、片目になってもしぶとく生き抜いた当のイトウは、また1ヶ月後に、私のまったくおなじやまめカラーのルアーにヒットした。このときは、写真家の阿部もいっしょだったので、彼のカメラにもしっかりと記録された。イトウの体長は、1cm伸びて68cmになっていた。ヒットしたポイントが、前回釣れた場所と500m以内の場所であったこと、左眼が無く眼窩が器質化していたこと、体長がほぼ同じであったことから、同一個体と断定した。西部劇の好きな私は、この個体を「片目のジャック」と名づけた。
 これだけでは済まなかった。さらに2週間後、「片目のジャック」はまた私のルアーに食いついたのである。そのときも結構な暴れ方をして、私の竿を小気味よく曲げてくれた。ヒットした場所は、二回目の場所と200m以内の近場であった。ほとんど移動していなかったのだ。体長は68cmと変わっていなかった。

「お前は、まったく学習能力のない馬鹿なのか、それとも、俺が好きなのか。俺のお友達になりたいのか」

私も三度目の逢瀬にはあきれ果て「もう俺には掛かるな」ときつく説教し川に返してやった。

 いま北海道の河川にイトウの成魚が何匹生存しているかは定かではない。しかし、その実数が、シマフクロウの百羽、タンチョウの700羽とくらべれば一桁多いと推定する。そうでなければ私という釣り師が、道北のいくつかの河川で年間百匹も釣ることができるはずがない。 イトウの生息数については、研究者の推計する1000匹という数が報告されているが、おそらくその数は限られた川での産卵床の数から割り出したもので、宗谷の河川は未調査なのであろう。

私と阿部は、毎年のようにイトウの産卵を観察にでかけるが、いくつもの河川の源流につぎつぎに遡上する親魚の数からみて、イトウを「幻の魚」と呼ぶほど少なくはないと思うのだ。おそらく産卵可能な親魚でも5000匹は棲息すると二人は考えている。私が年間に釣る数を100匹とすると、総数の2%となる。この数も相当なものである。私の釣り場は、それほど広大ではないから総数の2%を掛けることは、なかなか難しい。そうなれば、同一個体を複数回ヒットさせて勘定している可能性もある。それを確認するには、釣った魚に私が釣った証拠のタッグをつけて放流する手もある。しかし野生の美しい魚にそういう人工物を付けたくはない。だから、あえて確認することは放棄する。

しかし、ここに書いた二匹のように確実に私の針に二度三度掛かったイトウもいるのだ。原始の川の魚も想像以上に人と関わり合いがある。だから、キャッチ・アンド・リリースは必要なのだと思う。

 

A word of JHPA president