272話 越冬鷲  


 日本の最北宗谷の冬は長い。一年の半分は冬で、実際に11月から4月までは積雪がある。とくに2016年は1031日に冬景色となり、後日に稚内地方気象台はこの日をもって根雪と認定した。

 イトウ釣りは冬でも可能だが、それも11月までで、12月にイトウを釣ることは至難だ。なぜなら川が結氷してしまい、竿を振ることができないからだ。もちろん釣り場を探せば、釣る場所は見いだせるが、そこまで執着する人は少ない。先シーズンの私は12月初旬でもって納竿した。

 さて釣り師は長い冬をどう過ごせばいいのか。モノづくりの能力のある人は、ルアーを作ったり、フライを巻いたり、タモ網に挑んだりするが、私にはその能力がない。前シーズンの釣り結果の集計を済ませると、もう釣りにまつわる作業がなくなる。あとは釣り談義で過去を振り返るくらいのものだ。ちょっと寂しい。

 ところがこの冬はあらたな楽しみを見出した。それが鷲ウオッチングである。宗谷は川も海も釣り天国であるが、まったく同様に野鳥観察者にとっても天国なのだ。日本の最北にやってくる渡り鳥は、夏鳥も冬鳥もたいそう多く、バードウオッチャーにとって当地は垂涎の地である。しかもハクチョウ、オオヒシクイ、タンチョウなど大型で華やかな鳥がめだつ。しかしなんといっても存在感があるのはオオワシやオジロワシといった猛禽類だ。

 冬の稚内では、ときおり市街地裏山の樹林に猛禽類が止まっている。私は仕事場に向かう車中でいつも鷲を探しながら行くのだが、日常に鷲の姿を拝めるのは幸わせだと思う。だが釣り仲間からもっと多くの猛禽類が近郊の川の河畔に居ることを知らされた。

 半信半疑で車を走らせ、その川に行ってみるとそこは猛禽類の王国だった。空を飛んでいる野鳥がほとんど鷲であった。でかい。美しい。羽ばたかず悠然と空を舞っている。しかも山奥ではなく、酪農家が点在する田園風景のなかだ。川はなかなか結氷せず、真冬でも開水面があり、おそらくそこをホッチャレになったサケが泳いでいるのだろう。もしかするとイトウさえ鷲の餌になっているかもしれない。これはえらいことだ。

 12月から定期的に鷲を見に行くようになった。12月中旬には、道路から近い河畔の1本の木にオオワシとオジロワシが計13羽も止まって、「鷲のなる木」の様相を呈していた。11羽が大きいから、見ごたえがする。その木を離着陸する鷲もいるから、まったく見飽きない。驚くのは、地元の酪農家などの運転手は、見慣れているのか、まったく知らん顔をして通りすぎることだ。

鷲のなる木に止まるだけではなく、雪原に降りている鷲、餌を奪い合ってバトルしている鷲もいる。1218日には川の流域にざっと見て100羽の鷲がいた。オオワシは極東に2000羽くらいしか生息していないというから、ここに集まっているのは5%にもなるのか。

正月がすぎ真冬が来ても10羽ほどの鷲が居残り、厳しい風雪の宗谷で、鋭い眼光の鷲たちは、身じろぎもしないで樹上に翼を休めていた。1月下旬に宗谷湾沿岸に流氷が流れついた日には、流氷原を飛ぶ鷲もいたから、海で餌を探していたはずだ。おそらく真冬の海も鷲を養う餌を供給しているのだ。

3月初旬になり春めいた朝には、強い西風を背にうけて、山際の樹林にたたずむ鷲が20羽ほど居た。厳冬期より数が増えているのは、宗谷海峡を渡って北へ帰る準備をしているのだろうか。

4月最初の週になると、鷲は川の流域に広く分散したようで、もはや「鷲のなる木」を見ることはできなかった。おそらく、南風が吹く日に、宗谷海峡を渡って、サハリンへ帰るのであろう。

冬の宗谷で鷲が居ついてくれることで、私は外出して写真撮影をする喜びを見出した。いつかは、鷲がイトウを鷲づかみして飛ぶ瞬間をスクープしたいと思う。