228話  タモ入れ


 イトウ釣りにタモが必要か否か、これは微妙な課題である。私はむかしタモは持っていなかった。イトウが掛かれば全部浜にズリあげすればよいと考えていた。よけいな物を持たないと、動きやすいし、釣りの途中に無くして探し回る必要もない。だがどうしてもズリあげる浜がないこともあるし、針掛かりが浅くて、一刻も早くタモに収めたいこともある。

本波幸一さんは、イトウ釣りをやるときは、タモは持たず、全部浜に強引にズリあげる。その代わりイトウの重量を計るための自作の網袋をもっていて、魚を優しく包み込むのだ。定点釣りで、ズリあげやすい場所を動かないならばそれで十分である。

タモ入れには悲喜こもごもの経験があって、思い出したくない失敗もある。針に掛かって疲れ果て、水面に力なく浮上しても、タモが近づくと火事場の馬鹿力を出す魚もいる。最悪のケースは、魚をすくうのに失敗し、すくったのは外れたルアーだけで、魚は外へ遁走したという場合だ。

タモの大きさも問題になる。イトウ釣りで釣り師が、まるでコバンザメのように小さなタモを背負っていることがあるが、あれはまったくの無意味だ。ヤマメやイワナと基本的に体長がちがう。たが、大きすぎるタモも釣りを不自由にする。ヤブ漕ぎは苦労するし、水中ではタモの水圧も相当なものだ。

私は腰ベルトにタモの柄を差しているが、大事なことは、タモとベルトが紐やゴムでつながっているということだ。これは、いざ大魚をすくう段になると理解できるだろう。釣り人は2本の手をもっているが、竿を握るのに1本要る。左右のどちらかの空いた手でタモを持ち、それですくうのだが、魚が急にすごいパワーで走り始め、1本の手では止められないこともあり、リールの操作をしなければならないこともある。そんなとき、タモの手を一時離すこともある。だから、タモとベルトはつながっていなければならない。

 ことし6月半ばの日曜日、中河川を遡行していた私は、期待のもてる岩盤の瀬とその下のトロ場に差し掛かった。最初の1投で50pが来て幸先がよかった。リリースのあと、「まだ居そう」ともう一度核心部の渦のなかにプラグを放り込んだ。「居た!」。ズンと抵抗があり、水柱がガバと立ち上がった。重々しい手ごたえだ。近づけてみると、頭の大きなイトウで、まだ多少の婚姻色を残していた。とっさにタモは大丈夫だろうかと心配した。それだけに時間をかけて、魚を落ち着かせ、浮いてきたところで、魚を自分より下流に行かせて、引き寄せ、すくおうとした。ところが、とっさに魚が方向転換して失敗した。もう一度、今度は頭から尾へ向けてすくい込むように試みたが、柄に頭が衝突してまたもや失敗した。不幸中の幸いは、針が外れることがなかったことだ。

 しかたない、ズリ上げに切り替えた。浜は100m下流にあったはずだ。そこまでゆっくり慎重に、流倒木を避けながらくだった。ズリあげ場所を決め、ゆっくりと自然に浅場に誘導し、魚が身体を横倒しにしたところで膝を使ってフォールした。イトウはパワフルで、85pのわりには、体重が8.4kgもあるメタボだった。

 あとでタモと魚体を並べてみると、やはりタモですくうのは無理だったと分かった。タモの形は長径60p・短径40pの楕円型で、魚体とくらべて口が小さすぎた。それに私はズリあげと比べてタモ入れが下手くそなのだ。

 タモですくうと、網のなかで魚はめちゃくちゃ暴れる。それで無用の傷を負わせることもある。しかも川中で、計測や写真撮影をすることができないので、どこかの岸辺に移動しなければならない。一方ズリあげならその場で、そういった処置ができる。ズリあげのほうが魚には優しい。そんなことをあらためて感じさせられた1匹であった。