223話  2013年イトウ産卵観察


 毎年のことだが黄金週間が迫ってくると、うきうきわくわく高揚する。イトウの遡上産卵を見にいくのだ。会えるのはイトウだけではなく、釣り仲間も竿の代わりにカメラをぶら下げて集まってくる。

 2013年は道北の冬の積雪が多かったので、雪解けが遅れ、イトウの遡上もおそくなるかと気をもんだ。しかしイトウは、気象情報よりも自身の体内時計を信用しているようで、例年とすこしもたがわず源流へと昇ってきた。おそらく河川ごとのイトウの遺伝子には産卵遡上の日取りもきちんと書き込まれているにちがいない。となり同士の川であっても、イトウの遡上の時間差がきっちり決まっているようだ。

 それにしても黄金週間の天気は悪かった。天気の神さまは人びとが春の到来に喜びうかれるのを戒めたのか、ほとんど太陽は姿を見せなかった。雨と曇がくりかえし、気温はずっと氷点に近い。なによりも観察者泣かせなのは、谷に光が差してこないことだ。光が不十分ななかで、撮影するのは難しい。

 私は429日に初めて川に参上した。すでに先客がいた。まもなく上流からtorakoさんが下ってきて、「やあやあひさしぶり」と握手を交わした。彼もイトウに熱中して10年過ぎたという。毎年私の知らない新兵器を持参して驚かせてくれるが、ことしは水中のイトウに接近して動画を撮るカメラと振り出しの棒をもってきた。むかしなら釣り番組を手がけるプロダクションが手作りした装置である。

 Fujiさんにも会った。彼はゆうゆうと折りたたみ椅子に座り、三脚固定したビデオを回しながら、スチールカメラを構えてイトウのペアの掘り行動を記録していた。肌寒いフィールドで寝泊りしての奮闘ぶりだった。

 かくいう私もことしは、ニコンの上級機種とズームレンズを購入して、イトウ産卵観察に気合が入っていた。残念ながらまだカメラの機能の十分の一も使いこなせず、駄作ばかり撮影して腐っていた。例えばISO感度が6400まで設定できることも知らず、低い設定で、ぶれた写真ばかり撮っていた。そういったことも教えてもらわないと分からない。偏光フィルタは水面上から魚を撮る場合は必須のアイテムだが、波立つ水面のゆらぎを消す には使い方に慣れないとピタッと決まらないのだ。

56日の最後に入った川はジンクリアで、いい光にも恵まれた。たった1組のペアがササの陰でセッセと掘り行動をやっていたので、ササをかき分けて接近し、なんとか納得のいく写真が撮れた。

 イトウ産卵のつきものは、ヒグマの恐怖とギョウジャニンニク採取の楽しみだ。私はことし太い多機能ベルトを入手して、それにベアスプレーとボウイナイフと熊鈴をセットして腰に巻いている。こんな道具を身につけて都会の歩行者天国を歩いたら、5分もしないうちに警察の御用になるにちがいない。ギョウジャニンニクは、源流部で採る必要はなく、私は里に隠れた「畑」をもっていて、いくらでも摘むことができる。しかしtorakoさんの採ってくるギョウジャニンニクは茎の太さが人差し指くらいはある極上品である。

 イトウが見つからないとか、川の濁りと光線の不足でうまく撮れないとか、残雪にヒグマの足跡があってビビルとか言いながら、みなさんとてもうれしそうだ。ふだん都会に暮らす「大人の顔をしたこどもたち」が、フィールドに出てはしゃいでいる。五感が研ぎ澄まされて、野性が甦っている。

空には北へ帰るハクチョウやガンカモが編隊を組んで飛ぶ。カワウの群れが水辺の木々に鈴なりに止まっている。牧草地をエゾユキウサギがものすごい速度で突っ走る。

イトウ産卵観察にはイトウだけではなく、付録がたくさんついてくる。黄金週間に人ごみにもまれて旅をするのもよいが、道北の山里でイトウ探しに夢中になるのもわるくない。