22話 矢口 高雄先生


 「釣りキチ三平」の漫画家・矢口高雄先生ご一行が風雪の稚内を訪問されることになった。以前か

らラブコールを送っていたのだが、いざ東京から飛んでこられるということが決まると、すこし緊張

した。一行は、矢口先生ほか5人という大所帯である。娘さんのYUMIさんと講談社のひとびとで

ある。
来訪当日はふぶき模様で、稚内ではありふれたふつうの冬日なのだが、東京の人にはとびきり

厳しいとおもわれるような天気であった。それでも全日空機は稚内にきっちり着陸してくれた。先乗

りで稚内入りしていた講談社編集部のひとびとから「ご一行が着きました」との連絡を受けて、私も

全日空ホテルへ移動した。



 まずは、フェリーターミナルでのお迎えである。地吹雪舞うなかで、矢口先生がタクシーから降り

てきた。私も雪まみれになって玄関でお迎えした。


 「やあ、やっとお会いできましたね」

 「よろしくおねがいします」

まずは挨拶と握手である。矢口先生はおもったより小柄であったが、落ち着いた語り口の紳士は予想

どおりであった。



 フェリー乗り場で最初の撮影がおこなわれ、対談会場の全日空ホテル・スウィートルームへと移動

した。海に面した明るい部屋は広く、直下に稚内名物のドーム防波堤とその手前の港の冬景色が見下

ろせた。大きな会議テーブルをはさんで矢口先生と私が対席し、話しはじめた。矢口先生は語らせ上

手である。
私が京都の祇園という花街そだちで、ガキのころから父親に連れられて加茂川や琵琶湖で

フナ・鯉・モロコなどを釣っていたことから、北海道に来て、北大山スキー部時代には日高や大雪の

沢でオショロコマやアメマスを山行の食料として釣っていたことなどをたちどころに引き出した。


っぽう矢口先生が秋田県増田町の出身で、地元の銀行員から30歳のときに漫画家に転進され「釣り

キチ三平」で一挙に人気作家となられたことはもう有名な話である



  われわれはコーヒーを何杯もおかわりし、ときには小道具を持ち出して、対談の資料とした。私が

出したのは、アメリカ製のねずみルアーである。「釣りキチ三平 イトウ釣り篇」では潜るねずみル

アーが登場するが、実際にアメリカでは植毛された大型の浮上型ねずみルアーが存在し、レイクトラ

ウトの釣りには有効であるという事実を私が伝えると、矢口先生はたいそう喜ばれた。


 「イトウはルアーにこう接近して、ここで反転し、腹側からハーモニカみたいにくわえるのです。

 だから大物イトウは、必ずルアーの腹のフックに掛かる。それは私の統計でもはっきり示している

 のです」


  「イトウにかぎらず、大魚はいずれも小魚をそういう具合に腹側から食いつく。それはおそらく腹

 が絶対に逃がさない魚の急所であり、うまいからでしょうね」


そういうイトウ談義がえんえんと続いたが、対談は白熱し、とどまるところを知らない状況となった。

  「いやあ、きょうの矢口先生は楽しそうですよ。やっぱり先生には釣り談義が最高のサカナです」

担当編集者が口をそろえて言う。話のついでに私の南極越冬や宗谷の地域医療もしゃべらせてもらっ

た。矢口高雄先生の前で私の人生が丸裸になったようだ。


2時間の対談は無事に終了した。その間、写真もずいぶん撮影された。これで仕事の8割は終わった。

あとは、アフターファイブの楽しみである。



 日暮れたあと、南稚内にあるジャズの流れる居酒屋でんすけで飲み会となった。これには、イトウ

の会の会長の私のほか、事務局長の加藤基義君も参加した。


「乾杯」のあと、矢口先生が色紙に鮮やかに三平くんとイトウを描いて、私にくださった。矢口ファ

ンにはたいへんなお宝である。加藤君がもらったのは、谷地坊主とイトウである。でんすけでも延々

と、矢口先生と私の釣り談義は続いた。娘のYUMIさんは、「このふたりは、いつまでイトウ談義

をつづけるのか」とあきれ返ったそうである。


  「あなたの釣りビデオを見て、魚を膝ではさんで動きを止めるワザに注目しました。こんど魚紳さ

 んに、そのワザを使わせてもらいます。名づけて『膝まくら』です」


元祖膝まくらの私は、もう有頂天である。外は吹雪が荒れていたが、二次会でわれわれはカラオケク

ラブに転進した。そこでなんと矢口先生の陽水ナンバーが披露された。


「いかなーくちゃ、君に会いにいかなくちゃ」大熱唱で夜は更けていった。


 翌日は、日本最北の駅であるJR稚内駅やドーム防波堤でスチール写真の撮影がおこなわれた。


食に立ち寄ったラーメン屋には、「釣りキチ三平」のなつかしいKC版が全巻そろっていた。さっそ

く矢口先生が一冊に三平の絵入りのサインをされた。
天気はあいかわらず地吹雪もようであったが、

ご一行が宗谷の土産などを購入され、全日空ホテル玄関からタクシーで稚内空港に向かわれたころに

は、冬日が射すおだやかな天気になった。劇的な天候の変化である。


 私はすこし淋しさをおぼえながら見送り、ご一行の無事の東京帰着を願った。


  おそらく東京便が離陸した直後から、また激しい雪が降りはじめた。矢口先生は、うわさどおりの晴

れ男だった。