215話  晩秋の前奏曲


 晩秋になると私のイトウ釣りはどんどん渋くなっていく。釣りの時間は短くなり、気象条件は悪くなる一方だ。ことしの釣りは好調だったのに急ブレーキがかかったみたいに釣れなくなる。もうシーズンは残りすくないのに、会心の釣りができない。

暑かった夏も遠いむかしのように、気温が氷点近くまでさがり、竿を握る素手も冷たい。雨がしょっちゅう降って、川の水位は高め安定し、水温が急速に下がっていく。これが北国の晩秋だとわかっていても、こころは限りなく湿っていく。まもなく雪虫がとびかい、ほどなく本物の雪が舞い始める。分厚い雲が去来して、あたりが昼なのに暗い。深いため息がでる。

この時期イトウはいったいどこへ行ったのだろうと途方に暮れる。下流にいることは分かっていても、大河に散ったイトウがそう簡単に掛かるわけではない。ふだんやらない回遊待ちの釣りをやるが、魚信がないまま時間ばかりがすぎていく。夏場とちがって一日1匹釣れれば、大満足なのだが、その1匹がはなはだ遠い。

竿を機械的に振りながら、私は回想にふける。春のイトウ産卵、初夏の萌える緑、派手なボイル、真夏の草の匂い、大きなライズ、釣友からの携帯電話の弾む声、バラシた大物の手ごたえ、リベンジした魚。楽しかったなあ。

ふと気づくと、下流にいる釣り人の竿が曲がっている。沖合いに水柱があがって、釣り人は慌しく立ち位置を変え、奮闘している。「羨ましいなあ」とおもいながら、眺めていると、途中で竿が伸びてしまった。フックが外れたようだ。お気の毒に。だが釣れない自分はほっと安堵している。恥ずかしながら嫉妬しているのだ。

朝から岸辺に陣取って、休みながら釣りをつづけてきたが、川中からはうんともすんとも言ってこない。魚信どころか、根がかりもない。ルアーボックスの中のルアーは、あれこれ試してみたが、どれにもアタリはなく、チェンジするのもめんどうになってしまった。そんな時、ほんのかすかに、コツンとルアーに魚が当たった感触が伝わってきた。PEラインでなくても、ナイロンラインでもそれは分かるのだ。

「なんだ!ルアーを襲うのなら、しっかり喰ってくれ」とぼやきたくなるが、相手はなかなか慎重である。おなじポイントに何度もキャストして、再度のアタックを待つのだが、二度と魚信はなかった。

西から暗雲の塊が流れてきて、大粒の雨が落ちはじめた。風も真正面から吹き、波しぶきを浴びて最低の気分だ。

午後になって、釣り場を変えた。ヨシ原のすき間からそっと竿を出して、荒波の立つ川で夕暮れまで粘ってみることにした。西風がうねりを作って、水面をかきたてる。ときおりバシャと波とは異なる水柱があがる。ボラがいるようだ。

機械的に水面直下を泳ぐルアーを遠投しては、ゆっくり引いた。まるで反応がない時間が淡々とすぎていった。

「もうそろそろ切り上げようか」と思案し始めたころだった。ピックアップ寸前のルアーにいきなり弾丸のように追いかけてきた魚が食いついた。穂先までのラインは30pほどしかない。瞬時に手が反応して、リールのベールを倒し、ラインをフリーにした。そうしないと穂先を折られるからだ。2mほどラインを出して、ベールを戻した。秋の荒食いで肥った魚は活力にあふれ、ヨシの茂った浅場を縦横に暴れのたうちまくった。水深が20センチほどしかないので、ほとんど陸上で跳ねているようだ。直径80pのタモで、枯れたヨシと泥ごとすくい取った。イトウは77p・4.8kgのプリンプリンの個体だった。

たった1匹のイトウで、釣り師は地獄から天国に舞いあがる。きょう一日の憂鬱な時間はこの瞬間のための前奏曲だったかのようだ。私はヨシ原をあとにして、ささやかな祝いにトンカツ弁当を買って帰った。