194話  秋の平日朝釣り


 201110月のしょっぱなからメーターイトウを釣り上げたことが、萎えかけていた釣り心に火を点けた。春の陣から久方ぶりで、平日の朝釣りを再開したのだ。

 夜明け前に起きて、5qを走る習慣は春夏秋冬変わりがない。走っているうちに、おそあらく脳ホルモンが分泌されて、気持ちがにわかにアクティブになっていく。「走り終えたら、その足で川へいくぞ」と気持ちが奮い立つ。

 5時半には川畔に立つ日がまたやってきた。釣り座は決めてあるので、先客がいないかぎりそこに立つ。いたら第二の場所を選択する。どちらも車を捨て、枯れかけたイタドリのトンネルをくぐって到達する。この季節になると日の出の時刻が日に日に遅くなり、6時直前になってやっとオレンジ色の太陽がしっとりと川面を照らす。刻々と色づく川風景は、まもなく展開するドラマの導入部だ。水位は高めで安定し、ササ濁って、いかにも魚が付いて居そうだ。

 不思議なのは、陽光が川面に届くと、眼を覚ましたように餌魚がざわめいて、水面にさまざまな波紋を描く。そこへイトウが登場するという案配だ。秋の川で派手なボイルや大きなライズリングはあまりお眼にかからない。しかし水面下では大魚が活発に動いて小魚の群れを追っていることが彼らの逃げ惑う様子で分かる。

 私は「岬」に立った。川の流れは、下げ潮に導かれて、いつもより速い。下流に向かってフルスイングし、ゆっくりと引いてくるとルアーは相当の抵抗を受ける。そうこうしているうちに、ドスンと重厚な魚信があって、ザバッと水柱があがるのだ。イトウが食いついた時刻を腕時計で確認する習慣ができた。どれほどの時間を闘うかは、魚の大きさ、針の掛かった位置によるが、ファイトやりとりの歓喜は、相手しだいなのだ。

 75p・4.5kgが来たときは、さすがに一気にリールを巻き上げたが、それでもイトウは右に左に蛇行して、はかない抵抗をみせた。

 87p・7.0kgのときは、そう簡単にはゆかなかった。針が口ではなく、頭部にスレ掛かりしたからだ。イトウは姿を見せずしつこく水底に潜りつづけ、ダッシュを反復したから、「もしやメーター?」と錯覚したものだ。

 93p・8.6kgのときは、はじめの浮上でかなり大きいことが分かっていたが、寄せは案外容易で、浅場に流し込み5分で始末がついた。

 早朝のヒットは、なぜか6時から15分間の間に集中した。この時間帯に喰いがなければ、もうヒットはないとみて、私は帰宅するのだった。この川のイトウはえらく几帳面で、毎日同じスケジュールでクルージングをしているのだろうか。

 天下の幻の大魚イトウを平日の朝飯前にちょいと竿をふって釣り上げる醍醐味は、地元民でないと味わえない。釣ると都会の釣友にメールで自慢するのだが、決まって「羨ましい」と返信が届く。そうだろう、そうだろう。一日のはじめにこんな釣りをすると、その瞬間にクライマックスが来てしまうので、あとは惰性で日常を送るようなものだ。

 私は北海道内の地方病院に勤めたり、出張したりして長い年月をすごしてきた。いい川が眼と鼻の先にある病院では、平日の朝・昼休み・夕の3回も釣りをした覚えがある。ニジマスやヤマメが釣魚だったが、よくもそんなことができたものだ。小魚を数釣りして、持ち帰り、燻製や焼魚にして食べたが、それほどの幸せを味わったわけではない。

イトウは、さすがに釣魚の格がちがう。持ち帰るわけではないのに、この1匹の喜びは格段のものだ。