168話  ひさしぶり


 9月最初の土曜日、写真家の阿部幹雄とひさしぶりに撮影釣行を行なった。彼は3年間南極観測隊のセールロンダーネ山地調査隊にかかわっていたので、私とのんびり宗谷の川を歩く暇がなかった。

 前夜、砕氷艦しらせが稚内に入港した。私と阿部は艦上レセプションに招待され、そのあと街に飲みに行った。ちょっとばかり深酒したので、翌朝の出陣は遅れた。

 稚内の街を出ると、低地に濃霧が立ち込めていた。こういう日は、あとで快晴となる。最初の釣り場は、むかし阿部とよく通った島・刈り分けルートである。二番草がかなり伸びた草地を突破して、溝を越え、河畔の森に分け入った。流れる川の水位、色合いは非常によい。以前と同じように、私が上流へむかって、キャストしながら、ゆっくり歩く。阿部は10m後ろでカメラを構えて追いかける展開だ。正面から、カモの群れが低空で飛んできて、私を見て急角度で上昇した。それがいい絵だとおもったら、阿部はきっちり撮影していた。

刈り分けは大場所だ。往路はまったく音沙汰がなかったが、上流側から折り返して、しつこくキャストすると、コンと小さな前魚信があり、あらためてプラグを投射すると、ズズンと大魚が竿に乗った。最初のダッシュが鋭く、釣り師は魚の動きに翻弄され、10秒ほど持ちこたえたがフックアウトした。「アーッ」とおもわず叫んだが、狙いは外れていなかったので、気を取り直した。

事業場と名づけた深い直線に入った。ようやく立ち込みできる水位になったが、ときどき胸深になる。魚が出る場所が決まっているので、「ヒットする10秒前に合図する」と言っておいた。合図して10秒すぎても魚は来なかったが、さらに2投したところ、ゴンと来た。さきほどの魚ほど重くはないが、よく暴れる。浮上した魚を見ると、右腹にスレがかりしていた。慎重にタモ入れした。61pの中型である。阿部のカメラの軽やかなシャッター音が響いた。写真家の前で最初の1匹を見せることができたので、とりあえずほっとした。

「まだまだ来るとおもう」

釣り師は自信のコメントを吐きながら、移動した。再び川に入ると、非常に深い。つま先だって胸の水深である。これは、立っているところがイトウの付き場であることを意味している。いつ食いつくかわからないので、気がぬけない。川はさらに深く傾斜して、もうこれ以上は進めないと最後のキャストをすると、ドスンとヒットした。また60p級で、このクラスが一番跳躍力がある。二度三度と魚は全身をあらわにして、舞い上がり、水中に没した。阿部のモータードライブが火を噴くマシンガンのように撮影音を響かせる。魚の最後のジャンプと首振りで、ルアーが跳ね飛ばされて、バラシとなった。釣り師は悔しくてたまらないが、写真家は液晶画面を眺めながら、「いいジャンプだ」とご満悦である。シャッタースピード千分の一で、魚は止まっていた。

深場を越えて、さらに上流へ入った。いかにもイトウが潜みそうな薄茶にササ濁りした渕である。10mキャストして、ゆっくりゆっくり巻き、ピックアップしようとしたら、ロッドチップから10pのところで、魚が乗ってしまった。このままでは、穂先が折られる。間髪をいれずに、ベールを倒したが、そのため緊張が解けてフッと軽くなった。二連続のバラシである。阿部は魚が見えないのに、竿が曲がった瞬間をカメラで捉えていた。

結局、阿部の前でのイトウのヒットは4回であった。手にしたイトウは1匹だが、ファイトシーンはふんだんにあった。釣り師は不本意だが、写真家は釣りシーンとしていいのがたくさんあると、なぐさめてくれた。確かに、以前も大収穫の反面、まったくボウズも幾度もあった。なかなか一筋縄ではいかないが、それがイトウ釣りなのである。