146話  想定外の大物


 9月になったばかりの日曜日であった。前夜の結婚祝賀会で飲みすぎた二日酔いではあったが、6時前にはもう川に向かっていた。上流のあるルートをやろうと予定していたのに、駐車スペースに到着したとき、放牧牛がぞろぞろと草地にお出ましになったので、ルート変更を強いられた。ここの牛は人懐っこくて私を追いかけてくるから困る。

 代わりに島・刈り分けルートに入った。最近ご無沙汰していたので、アプローチの小径が樹木の繁茂で荒れていた。下手の渕から立ち込んだ。反転流ができて、いかにもイトウが潜んでいそうだったが、残念ながら魚信がなかった。渕の上手はだらだらの長い瀬になっている。深さ20pの浅瀬にイトウがいるなんて誰も考えない。瀬の右岸側にヤナギが倒れこんで、その上手が小さな落ち込みを形成している。イトウ釣り師としては、あまり期待しない小場所だが、ヒョイとルアーを投入した。リールを二三巻きしたとき、木ではなく軟らかい藻でも掛けた抵抗を感じ、「いやだなあ」と思いながら少々あおってみると、モアーっと動いた。ところが、竿先は微妙に揺れて、生命感のある動き方をしているではないか。「おっ、居たんだ」と喜んで合わせを一発いれた。すると、まったく想定外の大きな魚がギラリと腹を光らせて浮上した。小場所とはあまりにもアンバランスな大魚だ。走られると木にからむのを恐れて、すぐドラグをきつく締めた。竿を右肩にかついで、竿の剛性とラインの強度に賭けた。イトウはゆったりとした動きで頭をふったが、急激に走らない。縦横3mほどの小さな深みで、ゆらゆらしている。「よしここで持久戦に持ち込もう」と決めた。竿は8.3ftだが、もうヘアピンの曲がり方で、必死で耐えている。カーボンロッドは強い。いままで巨大魚といえども、竿を折られた経験はない。いつもラインブレークか針伸ばしでやられている。

3分くらい経っただろうか、魚のパワーが落ちた。背中のネットですくう方法もあったが、魚が若干大きすぎて、すくうのは冒険だ。そこで慎重に瀬に引き込んだ。ここで下流に走り、水勢に乗られると、ラインブレークするので、ゆっくりと川のど真ん中にある浸た浸たの浅瀬に誘導した。もう体高の半分以上が水面上に露出していた。その状態で、ネットを下流側から近づけ、蝶々捕りみたいに頭部を網の中に突っ込むと同時に、尾びれの付根を持って、ネット内に送りこんだ。

 イトウは9月だというのにまだ薄っすらと婚姻色の残るオスで、肥っていた。あの小場所に待ち受けて、ずいぶん小魚を飽食したのかもしれない。魚体は傷ひとつなくきれいで、尖ったなかなかいい面構えをしていた。体長は87p、体重は5.8kgもあった。この川のイトウはアベレージ50pほどだが、ときどきこういった想定外の大魚が気まぐれに遡上してくるから油断できない。

私はふだん中小河川で釣り歩くので、ロッドは短めだが、ラインはナイロン20ポンドテスト、リールは5000番、ルアーのフックは4番から3番に換えているので、大魚でも闘える。

イトウ釣りにも、私のように川を移動しながら釣る方法のほかに、一ヵ所に釣り座を構えて回遊を待つ方法、探検的な一点ねらいの方法などいろいろある。私個人の好みでは、川を移動する釣法が一番おもしろいが、河畔の植物が繁茂する夏の時期はアプローチで疲れる。最近では、体力低下のせいで釣りのコースが短くなって、1時間ほどの川中釣行が多いが、それにともない釣果も落ちてきた。それだけに、今回のように想定外の大魚に遭遇すると、生き返ったようにうれしくなる。

写真撮影のあと、イトウを瀬のゆるい流れに放つと、しばらく定位していたが、ゆっくりと動きだし、下手の渕に去っていった。再会する機会があるかどうかわからないが、もうあの小場所でルアーを襲うことはあるまい。老年のはずのイトウに、長生きしてもらいたいと思いながら、川を立ち去った。