135話  天国再訪


 5月にしか行けない「釣り天国」の話は以前にも書いた。他の季節は、増水とか植生の繁茂で到達が非常に困難になる。こういった季節限定の釣り場は、他にもあって、その情報を知っている釣り師だけの天国となる。

 さて、その「釣り天国」にことしも行ってきた。南風の強い朝で、出鼻をくじかれそうになったが、気合を入れて突入した。車を捨て、ひたすら脚を使って、誰もいない手つかずの川に到達した。

 川幅15mの両岸にカワウの営巣地がある。私のような闖入者がやってくると、親鳥は空中に退去して、上空で100羽以上が鳴きながら乱舞することになる。巣は2、3mの高さにあって、小枝などで作られ、容易にのぞくことはできない。カワウは水中に潜って魚を獲る名手だから、まさか営巣地の直下にイトウはいないとおもうが、一応探ってみる。なぜかこの直下は非常に深く、イトウが潜んでいそうにもおもえる。

 河畔の森は、ヤナギの新芽が吹き、エゾノリュウキンカなどの下草はぴかぴかの緑で、非常に明るい。川辺には広い川原もあり、干上がった泥床には縦横無尽にエゾシカの足跡がついている。ヒグマもいるはずだが、まだ足跡を確認していない。

 川は魅力的な蛇行をしながら流れ、岸辺の土壁が崩落して、毎年すこしづつ形が変わる。流木の長いのがデンと居座って、複雑な流路を作っている。

「原始の川とはこういうものか」と感心しながら、ときどき写真を撮っては、上流に足を運ぶ。

 宗谷には宗谷丘陵のような日本人の常識では考えられない風景があるが、原始の川も都会生まれの私には、目に心地よい。

 複雑な流倒木の開水面をねらってルアーを投じると、すぐ根がかりする。2つたちどころに失って、潜るプラグの使用はやめた。泥床の深さの解らない川にいきなり入るのは愚行で、つるつる滑る不安定な足場では竿を振ることができない。屈曲点のカーブの外周はまことに魅力的なポイントだが、こういうところには樹木が生えて、なかなかよい釣り座が見つけられない。危うい体勢でキャストを強いられることもたびたびある。多分、そこには巨大魚も居つくのだろうが、掛けたとして、どうやって取り込めばよいかおもいつかない。

 そんな訳で、ヒットに至らないまま下流に下がってきた。私はやっぱり立ち込みの得意な釣り師だから、川のなかに両脚を沈めて位置しなければ仕事にならない。水際の泥にズボズボと足をとられて、難儀しながら川中に進むと、中央部は砂床でふんばりが効き快適だった。

 「さあ、やるぞ」と気合を込めて、川中から岸際の深場を探りはじめると、いきなりズシンと魚信がきた。魚のスピードがあるので、外道かと思いきや、エラブタにフックが掛かっていた。立派に黒斑のあるイトウだった。泥どろの岸辺にズリ上げると、せっかくのイトウも泥まみれになってしまった。フックを外し、タモにいれて、ジャボジャボと川中で洗った。54pと小ぶりだが、えさが豊富なのか肥っていた。

適当な砂利浜がないとき、私はよくタモに魚を容れたまま写真を撮り、体長を測定する。タモはいろんな場面で重宝するが、要は背中に背負ったタモが適度に大きく、釣り師の身体とゴムヒモで結ばれ、臨機応変に使いこなせなければ意味がない。私のようにヤブこぎをする釣り師には、マグネット式のタモの固定は駄目で、気がついたときにはヤブにタモを取られて跡形もない。

 釣り天国は、とりわけイトウの魚影が濃いというわけではないが、魅力はその原始性である。とくに野鳥の種類は宗谷でも有数だろう。ガンカモ類、ウの仲間、サギの仲間、カモメ類に加えて、ハクチョウ、タンチョウ、さらにはオジロワシなど猛禽類などバードウオッチャーなら狂喜するような大型野鳥が豊富だ。

 1匹のイトウに満足して、川を後にした。写真をたくさん撮り、ヤブをこぎ、ぬかるみに難渋し、汗をかきかき車に戻った。

 「また来年5月に行こう」

 私ははやくも「釣り天国」の再訪に思いを馳せた。