129話  節 分


節分は、各季節の始まりの日(立春、立夏、立秋、立冬)の前日のこと。炒った大豆を撒き、撒かれた豆を、自分の年齢の数だけ食べる。豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。(中略、出典ウィキぺディア)

2009年2月3日節分の日、私は丑年生まれの年男として、稚内の北門神社で袴(はかま)と裃(かみしも)を着て、豆撒きをやることになった。宮司による本殿での厳粛な厄払い神事のあと、赤鬼青鬼が大音声で登場した。本殿をところ狭しと暴れまくって、大活躍した。ここからが年男、年女の出番である。

ふつうなら「鬼は外、福は内」と唱えるべきところだが、私にとって魚偏に鬼のイトウは、どうしても追い払うわけにはいかないものだから、「魚鬼は内、福も内」とこっそり変更して、大豆を撒いた。すっかり童心にかえって、盛大に撒くのは楽しいものだった。

私はふだん神社とのおつきあいはない。せいぜい賽銭を支払って交通安全のお守り袋をもらったくらいだ。私は神さまも仏さまも、他のどんな宗教神も信じていない罰当たり者だが、そのくせ「イトウの神さま」という言葉をよくつかう。本当にそういう神さまがいるのであれば、玉串料も奮発して、信心し、ご利益を賜りたいものだ。

さて、節分のころといえば、冬の峠である。2月の上旬には、さっぽろ雪まつりをはじめ北海道各地で、冬まつりが開催される。雪国では冬季間に人はともすれば家にとじこもって元気がなくなるが、こういった催しが人を屋外に引き出すことは健康管理上もよろしい。

北海道の釣り人にとって冬は休息期間である。なかにはガマンできなくて、穴釣りでワカサギを釣ったり、怒涛逆巻く海でアメマスを狙う人びともいるが、たいていはまったく竿を握らないか、それとも釣りのできる温暖な地方へ遠征したりする。

しかし私はそうなんども稚内を離れることができないので、冬季は完全に休息期間として、竿を持たないことにしている。節分の翌日は立春で、暦のうえでは春なのだが、街の風景は完全に冬景色で、春のよろこびは、日が若干長くなったかとおもうことだけだ。

2月になると本州からサクラマス解禁の情報が流れてくる。早春の河川にはサケ科魚を待ちわびる釣り人がワッと押しかけて、まだ雪景色の河畔にずらりと並んで竿をふっている。本州では宝石のように貴重で希少なサクラマスを祈るようにして釣っている。

北海道ではたいていの川でサクラマスは生息している。イトウ釣りをやっていて難儀な外道はじつはサクラマスである。道内の河川でのサクラマス釣りは全面的に禁止で、海と限られた湖でしか釣ることができないからだ。しかし5月6月であれば、避けようもなくルアーに食いつく魚で、たいていのイトウ釣り師は迷惑している。じつのところは、「魚鬼は内、桜は外」と言いたいところなのだ。

私は5月から12月までイトウ釣りをしている。2008年の釣果では、それらのどの月もイトウを釣った実績をもっている。むかしは、真冬も含めてすべての月にイトウを釣ろうと考えていたが、産卵を控えた個体もいることから、年の釣りはじめは、5月と決めた。まだたっぷり3ヶ月も先のことだ。

「魚鬼は内、福も内」

そう唱えながら、季節のドラマチックな変化を待つことにしよう。