124話  初冬の釣り対決


 雨のふる日曜日の朝、私はわくわくしながらある合流点へ車を走らせた。しばらく来ないうちに、土手道には砂利が敷かれ、ずいぶん走りやすくなった。駐車スペースにはすでに3台がとまっていたが、そのうちの見慣れた1台は昨夜から川を見下ろす高台にあったはずだ。

 私は土手を早足で駆け下り、合流点の突端で竿をふる本波幸一名人のもとへ直行した。小雨のふるなかで挨拶を交わしたあと、しばらく名人の釣りを眺めた。力強いキャスティングによって繰り出されるルアー・マキリは大きな弧を描いてふたつの川の水が交わる太い流れに豪快に着水した。

 「これは釣るにちがいない」直感的にそう確信した。

私も彼から10m離れた釣り座を確保し、そこできょう一日過ごす覚悟を決めた。ひとりのときは、一か所の釣り場に留まることができず、あちこち回遊する私だが、本波名人と釣るときは、妙に気持ちが落ち着いて動かなくなる。それは、彼のもつ求心力が心地よいからだ。彼のそばにいると楽しい。それは、釣りのすべてのシーンでいいお手本になるからだ。たいていは先にイトウを釣ってみせてくれるので、その釣り場にイトウがいることが証明され、希望が湧く。釣り対決といったらおこがましいが、私は名人に挑戦するつもりだった。

 「来ました」

 9時45分だった。本波ロッドが小気味よくしなり、クンクンとうなずく。名人は引きをたのしむように魚を誘導して、小さな湾にズリあげた。

 「ここは泥底で、イトウが泥どろになるからいやだなあ」といいながらも、体長と体重を素早く量り、75p、4.0kgといった。

私は、自分の竿を投げ出して、ファイトシーンの撮影に余念がなかった。おもえば、彼と出会った4年前から、ヒットシーンをなんど撮影したことだろう。

大きいのが釣れたと聞いて、近くの釣り場から車で急行したこともある。名人と待ち合あわせをして、のんびりと土手道を歩いていたら、彼の竿が曲がっていて、慌てて川へ駆け下ったことも二度ある。

プロ釣り師・本波幸一が素人よりたくさん釣るのは当然だが、とくに私の前ではよく釣ってくれたような気がする。私はいわば福の神なのだ。

その日は昼ごろに雨があがり、大河は波ひとつなく、合流点では魅力的な渦を巻いて、水中で巨大魚が行き来していることを想像させた。わくわくどきどきするような冬枯れの川風景だった。しかし、名人にも私にもそのほかの釣り師たちにもなんの魚信もなく、時が静かに過ぎていった。雲間からときおり光の束が射し、対岸の原野でキューンとエゾシカが鳴いた。

 「ヒットがないままタイムアップするか」とあきらめかかったとき、私の竿にドスンと重い当たりがあって、おもわず「来た!」と叫んだ。

私はふだん中小河川の立ち込みで釣りをしているので、至近距離で魚が掛かることが多いのだが、今回ははるか沖合いで食いついた。魚のパワーがゆったりと遠いところから伝わってくる快感は、格別のものである。じりじりと寄せてくると、イトウの腹がギラリと光る。水中の黒い砲弾が右に左に首をふりながら走る。

名人は私の背後から自分のデジカメで撮影してくれた。

「すくいますか?」と親切に聞いてくれたが、私は「自分で」と意地を張って、直径80pの大タモを左手に持ち、その中へ魚を流し込んだ。時刻は14時50分であった。イトウはやや下あごが突き出た黒点の少ないオスで、80p、5.0kgの良型であった。

今回の釣りでは、本波名人も私もおなじ本波ロッド972を使い、ルアーもおなじマキリだ。ラインもおなじバリバス22ポンドテストで、ちがうのはリールだけだ。

ひさしぶりに川岸に日長並んで竿をふり、ほとんどおなじサイズのイトウを1匹ずつ釣った。サッカーの試合に例えれば、名人が前半に先制し、私が後半ロスタイムに追いついたようなものだった。これは私の大健闘といえる。こういう演出をしてくれた釣りの神さまにしみじみ感謝した。

「さあ、稚内へ帰って、でんすけで祝杯をあげよう」

納竿したとき、暮れなずむ北国のヨシ原は、もう点灯が要るほど暗かった。われわれは、二台連なって最北の街へ飛ばした。