119話  出陣歌


 早朝に稚内の家をでて、釣り場に出陣するドライブはいつも気持ちが高揚してうれしいものだ。そんなとき車内では音楽が大音量で鳴っている。いまはCDチェンジャーという6枚のCDが収まる便利なボックスがあって、順繰りに自動的にアルバムをとりかえてくれる。いまのラインナップは、@平原綾香A葛城ユキB行進曲集C門倉有希DちあきなおみE門倉有希となっていて、延々と曲を流してくれる。

59歳のイトウおじさんの趣味にしては、平原綾香は驚異だろうが、私は「ジュピター」をうたう彼女の異次元の歌声にしびれたのだ。葛城ユキは、往年のハスキーな女性ロック歌手で、「ボヘミアン」は流行った。行進曲集はどれもテンポがよく、釣行意欲を鼓舞して出陣に適しているが、なかでもとりわけ好きなのはエルガー作曲の「威風堂々」である。ラインナップに門倉有希のアルバムが2枚も入っているのは、いま一番聴きたいからだ。「ノラ」が代表歌だろうが、私は正統派演歌の「女の漁歌」や哀愁に満ちた「北の駅」が好きである。ちあきなおみは、団塊世代なら誰もがカムバックを願う伝説の歌姫である。彼女がカバーする「カスバの女」はちょっと泣ける。

私の家から釣り場は近いので、6枚のアルバムを全部聴くなんてことはない。せいぜい1枚か半分だろう。ひとつのコースをやり、つぎに移動する際にまたつづきを聴く。釣りには好不調の波があって、ガンガン釣れてウハウハ状態のときもあれば、まったくボウズかバラシで凹んでいることもある。そんなとき心境が歌とマッチしたり、あまりにミスマッチで笑ってしまうこともある。

私は音楽が好きなのだが、とりわけどのジャンルを好むというわけではない。CDチェンジャーにサラ・ボーンのジャズボーカルが入っていることもあるし、スメタナの「モルダウ」などクラシックの名曲が入っていることもある。ときには、広沢虎造の浪曲が入っていて、「寿司、食いねえ」なんて「石松・三十石舟」をやったりする。

ともあれ休日に車で移動しながら、イトウ釣りという大自然の中で行なうアウトドアの活動と、音楽というインドアの趣味が交互に楽しめるのはありがたい。カーステレオという動く個室に最適のアイテムを開発した発明家に感謝しなければならない。

現代では、ヘッドホンで、iPodやウオークマンを聴きながらランニングをしている人を見かける。音楽を聴きながら竿を振っている人は見たことがないが、管理釣り場にはそんな釣り人もいるにちがいない。釣れないときは、そうやって気を紛らわすのもいいかもしれない。

イトウ釣りは、ふつう湿原や原野の川でやる。したがって人工的な音はあまり聞こえてこない。せせらぎの音、風の音、野鳥の声、魚の跳ね音など耳に心地よい自然の音ばかりだ。これに竿の風切り音、リールの逆転音、糸鳴り、魚の暴れる水音などが加わると、掛かった明らかな証拠となり、釣り師の心臓が高鳴る。

イトウ釣りは大自然のなかで、人間の持つ五感すなわち、目・耳・鼻・舌・皮膚の感覚器を駆使して魚とわたりあう健全な遊びで、私が使わないのは舌くらいのものだ。この中で、目とならんで耳は最高の機能を発揮して、釣り人の大きな武器となる。老化現象で、目も耳もわるくなった私でも、なぜか川に立つと、ふだん見えない遠くのライズリングが見え、聞こえない小さな水音が聞こえるから不思議だ。

私は不勉強で、釣りの情景をうたった歌曲が実在するかどうか、知らない。演歌では怒涛逆巻く海で活躍する漁師をモチーフにした曲はたくさんあり、鳥羽一郎の「兄弟船」はその代表格である。だれか、イトウ釣りの歌を作ってくれれば、私は毎朝それを歌いながら出陣しよう。