116話  夏イトウ


 渓流魚はみな夏の高水温と減水が苦手である。だから、本州でも北海道でも真夏は渓流魚が釣りづらくなる。イトウも渓流魚とおなじように、真夏には釣りが厳しくなる。しかし、真夏に限ってイトウが消滅するわけではなく、避暑地に移動するか、えさを摂らないでじっと耐えているにちがいないのだ。

 最近「夏イトウ」と称して、この厳しい条件下でイトウを釣ろうという人びとが増えている。私は15年も前から、真夏でもピークシーズンと同様にイトウを追いかけているので、あえて「夏イトウ」と呼ばなくてもよいのだが、ここはお付き合いで「夏イトウ」と呼ぶことにしよう。

 8月上旬の日曜日、前日の雨があがって、川は適度に増水し、透明度30pほどのササ濁りが加わり、水温も18〜20℃くらいに下がった。これは「夏イトウ」が釣れるというシグナルである。

当日は5時半から川に立ちこんだ。瀬が落ち込む淵頭である。ルアーを投入すると、いきなり魚が軽くヒットして、小さいけれどれっきとした1匹目のイトウ25pが掛かった。私はイトウ釣り師だが、大物だけを狙っているわけではない。25pのイトウが川に生息していることの意味を考えれば、喜ばないではいられないし、25pだって将来巨大魚に成長する可能性はあるのだ。

川の上流へ移動して、水門の瀬にやってきた。ここもやや茶色っぽい水が激しく泡立ちながら岩盤から淵へと注ぎ込む。なぜかこのホワイトウオーターに待ち受けているイトウがいる。それもサイズが60から70pと決まっているから不思議だ。ヒットするのは、かならず第一投目だから、こころしておかなければならない。ルアーをホワイトウオーターに沈めて、2秒以内にかならず来る。バシャと水柱が立つと、魚が竿に乗っている。そんな感じで今回も65pが食いついた。ルアーを丸呑みスタイルで、くわえていたので、外すのに苦労するかと心配したが、ネットインして暴れたらフックは外れていた。これが2匹目だった。

3匹目は、大きなプールで出た。ここも岩盤の瀬から、ゆるやかにプールに注ぎ込む。ササ濁りの淵を歩くのは気味が悪いが、私はプールの水底を熟知しているので、けっこう大胆に進入する。上流に向かって右手に樹木がかぶさり、その下にイトウが潜む。今回もそこにいて、着水からリール2巻きくらいで、ドンと食いついた。大きくはないが、41pの高校生イトウで、私には貴重な釣果だった。

3匹釣ってすこし満足すると、アイスクリームを食べたくなった。夏は牧場の搾りたて牛乳で作ったアイスクリームがとくにうまい。英気を養って、川に引き返した。

川の半分を太い倒木が塞いでいる。ここで流れが速く、複雑に変わる。なぜか倒木の下に、大物がえさを狙って隠れている。いつもおもうのだが、野生魚の反射神経はじつに研ぎ澄まされている。えさの小魚などいつ通りかかるか分からないのに、居眠りもせずよく間髪をいれずに飛びつくものだ。この日も、倒木の 先端をかすめるように、ルアーを泳がすと、瞬間的にずっしりと巨体がのしかかった。水面に突き立つラインが縦横に走り、リールの逆転音が心地よく響いた。運よく淵のわきにたたみ二畳ほどの砂浜があり、そこにずりあげた。なんと80p、5.3kgの大物で、その日の4匹目だった。

川歩きにだんだんと疲れてきたが、そのまま遡行をつづけた。釣れるときは、かさにかかることが大事だ。流倒木が絡み合って、非常に複雑な水路がある。キャストすると十中八九根がかりは必発なのだが、思い切って投入したら、根がかりではなく、魚に掛かった。ジャンプして、逃げまくるので、すぐにタモ入れした。5匹目の56pであった。

さらに上流へと足を運ぶ。早瀬があって、水圧も強いので、これ以上水位が高いと突破できない。そこへルアーを放り込み、引いてくると、瀬尻でなにか掛かった。29pの可愛いイトウの横腹にフックが刺さったのだ。これが6匹目だった。

こうして「夏イトウ」を一日で6匹も釣った。魚がいた場所は、いずれも水が動くところであった。「夏イトウ」は、ドン深の淵の底にはいない。6匹のいずれも水が泡立ったり、波が起きたり、流速が変わったりするところにいた。「夏イトウ」は、加速をつけて動く水が好きなのだ。