113話  宗谷の初夏


 宗谷の初夏、とりわけ6月は地上の天国である。気温は20℃前後で、空は限りなく青く、地には緑が萌え、川には透明な珈琲色の水が流れる。天高くヒバリがさえずり、原野にエゾカンゾウの群落が咲き競う。川中にはトゲウオが集団で泳ぎ、それを追って巨大イトウが岸辺近くを駆け巡る。

私は宗谷に住んでいるので、爽やかな宗谷の6月も日常である。本州はもちろん、道央でさえも夏日がちらほら出現するこの季節でも、宗谷では確実に5〜10℃は気温が低く、まさに快適な大気を満喫できる。私は釣りをしながら、よく宗谷管内から留萌管内や上川管内に移動するが、そこは蒸し暑く気温が全然ちがうのには驚いてしまう。

地球温暖化の影響で、夏の日本列島でも30℃台後半の猛暑の襲われる気の毒な地方が多いが、宗谷はふつう年に一度も30℃に達しない別天地なのである。

 宗谷の初夏の魅力は、冷涼な気温だけではなく、日中の時間の長さ、短期間に生物が一気に華やかに活性化することも挙げられる。長い冬は風雪で閉じ込められるうっぷんを初夏の短期間で精一杯晴らしているようだ。

釣り師でなくともアウトドアで羽根をのばしたくなる宗谷の初夏だが、実際のところは6月20日過ぎになると、イトウ釣り師の姿もまばらになってしまう。道内には他に魚と遊ぶところもたくさんあり、食いの悪くなったイトウにこだわる必要もないのだろう。

 そんなわけで、6月末から夏場いっぱい、宗谷の中小河川は「俺の川」となり、私の独壇場になってしまう。この期間に私が釣るイトウの数はかなりのもので、おかげで年間の匹数が百匹近くになる。サケ、カラフトマス、ニジマス、ヤマメ、イワナもおもしろいだろうが、原始の川のイトウ釣りにはかなわないと私はおもっている。しかし私はいまのイトウ釣り人口は、もうこれ以上増えないほうがイトウ資源にとって好ましいとおもっているので、あえてみなさんにイトウ釣りを勧めることはない。ほんとうに好きな人だけが執着すればよい。イトウ釣りがマイナーであるのはけっしてわるくない。

 6月のイトウ釣りは、夜釣りなどやらなくても朝の3時から夜の20時まで可能である。釣りの時間が長いことは、釣り師の余裕を産み、当然ながら釣果があがる。

週末はもちろんのこと、平日でも仕事の前後の朝夕に竿を振ることもできる。朝は4時に家を出て、30分で釣り場につき、2時間釣りを楽しんで、また30分で帰宅する。それでもまだ7時なので、ゆっくりシャワーを浴び、朝食を平らげ、新聞に目をとおすことができる。夕方ならば、18時に仕事を終え、大急ぎで帰宅し、15分で最も手近な川に着き、日没まで1時間半は竿をふることができる。これは、まさに地元民のご利益である。そういう釣りがしたくて、宗谷に定住する釣りキチもたまにいる。

都会生活は便利で、快適な日常生活をエンジョイできるようだが、釣り場までの時間などは田舎生活の何倍も要するわけで、アウトドアライフにとってはちっとも便利ではない。加えて最近では車の燃料代が高騰し、日本の北の果てまで往復すると相当な出費となるだろう。

それでも時間と費用をかけて、宗谷にやってくる釣り師たちは、宗谷の初夏の価値を十分に理解されているようだ。本当に宗谷を愛する人びとだけが、めだつことなく、こころから楽しめるような環境を、われわれ地元民は整えていくべきだろう。

ことしもイトウの会ホームページ掲示板には、メーターを超える大物イトウの釣果がちらほらと書き込まれるようになった。そういう底知れない豊かな自然環境をいつまでも保つにはどうすればいいか、いましきりに考えている。