110話  けもの


 宗谷は自然の豊かな地域だ。野山にはけものがたくさん棲息している。イトウを追っていると、さまざまなけものに遭遇する。

 イトウ釣り師たちはヒグマが怖い。だからヒグマの棲息情報には敏感に反応し、ヒグマがいるといわれる地域には行きたがらない。結果的にヒグマの存在がイトウを守っているといえよう。

以前、猿払川上流部に置かれたミツバチ業者の蜂箱がヒグマに荒らされたことがあって、怒った業者がヒグマの捕獲しかけを作った。そのとき捕獲された檻の中のヒグマを、阿部幹雄が撮影した。それは200kgのやつで、あんなのがうろうろしている川で私は単独で釣りをしていたのかと、しばらくはびびって、その川を敬遠した。結局そのヒグマは、道の指示で野に放たれた。そのとき、阿部が取材したところでは、上猿払から小石、知来別あたりをテリトリーにしているヒグマは3頭いるという。そのうち、最大のやつは、捕獲された個体よりずっと大きいということが、足跡から分かっている。

私はヒグマをそんなに恐れているわけではないが、できれば釣りの最中には会いたくないとおもう。それでも、襲われたときに、まったく武器をもたないで徒手空拳で闘うのは無謀で悔しいから、危ない地域に侵入するときは、スプレーだけは持参する。持っているだけで、多少落ち着いて竿をふることができる。

上流部中流部に釣りにはいる人は、なんらかのヒグマ対策をすべきであろう。もし襲われて、死亡するようなことがあると、その地域の立ち入りが規制されるので、迷惑する釣り師や山菜取り師がでてくる。

エゾシカは増えている。中流部を歩くと、いたるところに足跡がある。キューンと鳴き交わす声がよく聞こえる。川原は、シカにとって格好の水飲み場であり、また川の横断場所でもある。私の釣り場のひとつに「シカの横断プール」がある。シカが頻繁に通る川原の下手の淵にイトウが居つくのだ。

シカ道は、川に最短で近づくよいルートである。また川に沿って歩くにも格好のルートである。いっぽうシカは私が汗水たらしてヤブこぎして作ったルートをちゃっかり使っていることもある。野生のシカに信用される道を作ったことは、私のアウトドアマンとしての誇りでもある。「けものにけもの道を提供する」のもわるくない。

キタキツネには、人懐っこいのがいる。安全な距離を維持してはいるが、ずっと釣り師についてくるやつがいる。エキノコッカス原虫に感染しているかもしれないので、けっして給餌などしてはいけないが、向うから来てくれるのであれば、写真撮影は簡単だから、ぜひやるべきである。

エゾユキウサギもときおり、牧場のわきの溝あたりから飛び出すので、びっくりする。毛替わりするので、冬の純白とはまるきり異なる灰色で登場したりする。ウサギは警戒心が強く、撮影しようとしても、あっという間に逃げられてしまう。そのスピードは、ヒトではとうてい追いつけるものではない。

おかしいのはタヌキだ。見つけてしのびよると、ブッシュのなかに隠れるが、高いヒトの視線からは丸見えなのだ。近づくと、金縛りにあって、小刻みに震えながら動けなくなっている。タヌキ寝入りとは、金縛りなのだろうか。

私は同定できないのだが、テンやミンクの仲間が川岸にけっこういる。みな泳ぎがうまい。静かに航跡を曳いて泳いでいく。渡河中にイトウに攻撃されないかとカメラを構えるが、そういう事態を目撃したことはない。

エゾヤチネズミもときおり川を渡る。これはイトウの餌食になる。じつは、チライマンは必殺のネズミルアーをワレットのなかに大事に持ち歩いているが、私も入手してここぞというときに使う。まだ一度もネズミルアーでイトウを掛けたことがないが、トップウオーターでガバッと出たらさぞかしエキサイティングだろうとおもう。

ニホンカワウソは絶滅したと想定されているが、それでも探している人びとがいる。阿部はサハリンの取材で偶然カワウソを発見し、VTR撮影に成功した。カワウソは、「釣魚大全」時代から、トラウトの天敵とされていたが、阿部によると「あんなに魚獲りのうまい動物はいない」そうだ。現在の宗谷にカワウソがいなくてよかった。いればイトウなどひとたまりもなく、捕まってしまうだろう。