109話  2008年開幕


 いよいよ2008年のイトウ釣りシーズンが開幕した。その夜、稚内の居酒屋・遊ぜんで開幕を祝って小さな飲み会を催した。参加したのは、稚内出身でおなじみの釣り師チライさん、横浜からやってきたトラ子君(男性)、そして私と妻の4人である。店には、丸テーブルが置かれた落ち着きのあるコーナーがあって、少人数が気の置けない会話を楽しむにはちょうどいい。まずは開幕を祝ってビールで乾杯し、あれこれ抱負を語り、おいしい料理を片っ端から平らげた。翌朝出陣のため栄養はとったがアルコールは若干控えめにして、その夜はお開きとなった。

 毎年のことだが、イトウ釣り初日は子供のころのように、うきうきわくわくする。まずどこへ行ってルアーの第一投を投じるかなかなか決まらない。車を飛ばして、釣り場に近づくと、否が応でも場所決めが必要になってくるが、そんなとき、決断は車を操る両手が勝手にやってくれるような気がする。そんなわけで、私はまず攻め下ることにした。

川は平年なら、まだ雪代増水の時期なのだが、ことしはすでに減水して、ほぼ平常水位である。濁りも失せ、水温も10℃内外である。これはもうベストコンディションといってもいい。川中に立ちこむと、右足がキューと冷たくなる。ウエーダーに小さな穴が空いていたのだ。リールのラインが、ガバッとキンクしたまま飛び出したり、リールの回転がオイル切れでスムーズでなかったりもする。こういったトラブルもシーズン当初は次々に現れる。それでも夢中になれるほど、開幕の釣りは楽しい。

水門の瀬で、魚がヒットして、腹がギラリと光ったが、すぐにバレた。「どうせまたすぐに掛かるさ」と楽観視していたら、そのあと音なしとなった。結局、初日は丸坊主に終わった。

二日目は、初日とは別の水系に挑んだ。イトウがいるのに、ほとんど釣り人が見られない川である。私は習性として、やっぱり順繰りに探りをいれる。この川は、人里から近いが、川岸が立って、水深が非常に深い印象をうけるので、たいていの人は敬遠するのだろう。

あちこちと竿を振ってまわったが魚の反応がない。そのうちに下流部に来てしまった。川一番の大渕で、11pのルアーを大遠投したが、まったく当たりがなかった。イトウはもっと下流か、さらには海に下ってしまったらしい。

疲れた足取りで、土手に停めた車に帰ってくると、ワイパーにメモがはさんであった。

「中流で65がきました」

控えめに書いてあるが、トラ子君の喜びが行間から滲みでていた。

「首都圏から今シーズン最初の釣行に来て、うれしい1匹だったろうな」と私も喜んだ。

その日も私には釣果がなかった。

 三日目はどうしてもイトウを釣る気で家をでた。原野の中の川を徹底して立ちこみで釣りあがった。まだ川は深くてなんども高巻く必要があったが、胸まで浸かっても1匹にこだわった。上のヨシ原の核心部での逆引きで、ついに間違いなくイトウが掛かったが、ブッシュ帯にもぐられてあえなくフック外れとなった。

 午後も下の下のヨシ原と名づけたコースをびしょ濡れでたどった。三本バラシと命名した屈指のポイントで、ルアーを回収しようと竿を持ち上げた刹那に、80クラスがバシャとヒットした。魚は頭を振り、アッという間にルアーを跳ね飛ばした。フックが外れなかったら、ロッドの穂先が折れたことだろう。胸の奥がざわざわした。イトウは至近距離にいる。もう夕暮れが迫っていたが、そのまま川中を歩き続けた。

 「釣りの神さまって、いるものだ」と感謝したのは、それから間もなくだった。軽い当たりだが、きちんと魚が竿に乗り、引き寄せてみると中学生イトウだった。愛くるしい37pが今季第1号イトウだった。数枚の写真を撮り、川に返した。めちゃくちゃ嬉しかった。

 こうして、ゴールデンウイークの釣行が終わった。外道は3匹来たが、本命はたった1匹であった。それでも1匹釣れたことで、私の長いドラマははじまった。イトウ釣り2008年の幕は切って落とされたのだ。

 ケータイにチライさんからメールが届いた。「最後の最後にドラマがおきました。86pでした」と。三人はそれぞれの獲物で、開幕戦を飾った。