106話  群れる


 野生イトウはふつう群れをつくらない。私が得意とする中小河川の釣り歩きをすると、ひとつの場所に2匹以上いることは珍しいことがわかる。

しかし例外もある。えさがきわめて豊富な場合は、一ヶ所にイトウが10匹以上も集まることもある。私は6月の中小河川の渕で前後50mほどの流域にイトウが百匹ほど集まっているのを見たことがある。養魚場じゃないのだからそんなことはありえないと思われるだろうが、確かにイトウの群れであった。群れる理由はえさとなるサケ科稚魚の集団降海だったとおもっている。

河口部では、イトウがイトヨやシラウオの遡上を待ち受けて、集まっていることがある。私はあまり得意ではないが、潮汐を読んで、河口部できわだった大釣りをやってのける釣り人がいる。たぶんその場合のイトウの群れは、潮の動きに連動して回遊する海の餌魚をねらっているのだろう。

 河川が秋の長雨で増水し濁って膨らんだころ、イトウがたまる渕を知っている。そこに集まるのは大物ではない。30pから50pくらいの中学生高校生である。川は味噌汁みたいな色をしているのに、ルアーを投げるとなぜかイトウがヒットする。そこにはえさとなる小魚がいるかどうかは不明だ。おそらくそれら中高生イトウは流されまいと流速の遅い渕に緊急避難してくるのだとおもう。これは安全確保と体力温存の本能であろう。

 おなじ緊急避難は、遡上するシロサケも増水時には流速の遅いワンドにたむろしていたりすることで理解できる。

 初夏の水温が高い日中は、大河に注ぐ水温の低い枝川の合流点で、大物イトウが何匹も頭を枝川に向けてささりこんでいることもある。これは冷水を求めて緊急避難しているのだろう。

 釣りの達人は、こういった釣魚の生態をよく知っている。イトウのような単独行動を好む魚でも、ときには群れることがあるのだ。イトウが群れをなす機会は、釣り師としてはイトウが大釣りできる数少ないチャンスなのだから、あまり他人に明かしたくはない。

 いっぽう釣り人はよく群れたがる。有名河川の河口部にイトウ釣り師が集まるのは、実際に釣れるから立つ人と、人がたくさんいるからそこへ引き寄せられる人がいるからだ。ヒトがたくさんいると、そこへ近づきたくなるのは、釣り人だけにかぎらない。集団の一員になることの安心感は、ヒトでは著明な現象だ。

 私の経験からいえば、釣り人は群れないほうがよほど釣れる。あっちからもこっちからもルアーやフライが飛んでくる事態になると、魚に加わるプレッシャーは相当なものだ。当然ながら魚の警戒心は強くなり、スレてくる。

いっぽう釣り師などめったに現れない原始河川の中流部に陣取っているイトウは、警戒心など持ち合わせていないようだ。長いアプローチの末にたどり着いたここぞという大場所では、たいてい一投目でイトウが食いつく。まさに狙って釣ることができるから、釣り師の快感は相当なものだ。

 「そこの渕でいま一匹出るから、いいアングルから撮ってくれ」

なんてことを、私は同行する写真家・阿部幹雄に平気で言ってのけ、そのとおりに釣り上げたことがなんどもある。

 イトウは本来は群れをつくらない孤高の川の王者だ。群れるときは、特別の事情がある。いっぽうイトウのことをあまり知らない釣り人は群れる。群れることによって、いっそう釣れない環境にしている。孤高の相手には、こちらも孤高でなければよい釣果は生まれない。